□2007年6月・LAへの旅
December 05, 2009
June 13, 2007
ただいまっ!今日から飯田橋会場にてレッスンを再開します
はーい ここは
どこでしょう?
そう!帰国しました〜!!
足は?・・・お、ついてるついてる。
というわけで、生きてるRIOのレッスンは今日から再開です。
今日の内容を紹介します。
まずボディムーブメントはこれからのレッスンに欠かせません。
アメリカで「黒さ」が発覚した私の音のとり方を伝授します。
それからパコに教わった右手だけのクロスボディリード、
リズとジョビーからはライトターンの極意を。
また、どこへ行ってもはやっている「1・3」と二歩でスタンバイ
するライトターンの始め方。
そしてコンビネーションです。
アフターではLA好みの選曲がいかなるものかをお楽しみ
あれ!
うーん、納豆がうまいっ!!
June 12, 2007
「その人のいいところを伸ばしてくれる先生って少ないような気がする」
スタースタジオの近くで
私に声をかけたおじさん。
ロスに30年暮らしているが、LAスタイルという言葉は
一度も聞いたことがないという。
南米にいけば地域によって踊り方は違うよ、と言っていた。
旅も終わりに近づいた。
もうすぐみんなに会える。
どんなふうにレッスンを再会するのかわからないけど、
11時間におよぶフライトの間にこの旅の意味を言葉に
できるものならしたい。
それが私の唯一の、じゃなくて今は二つになったのか、
道具だから。
書いているうちに、自分がどうしたいかが見えてくる。
LAスタイルに関して私はこのような結論にいたった。
「LAスタイルは形ではない。ON1でもない。
LAスタイルとは、ある種のスピリットだ」
負けず嫌い・ショーマンシップ・自己管理。
これがLAスタイルに必要な精神だと私は思った。
将来変わるかもしれないが今はそう思っている。
そして私のベースを作ったキューバンスタイルとは何か。
それは、歴史だ。アフリカ人が新大陸に連れてこられた。
その事実を証明するのがキューバンスタイルなのだ。
サンディエゴのTさんはもうずっと長い間サルサを踊って
いてかなりの上手だ。その彼女がこんなことを言った。
「先生って自分と同じようにさせようとする人が多い。」
それに続いたのが今回のタイトル。
これだな、と私はぴんときた。
私は自分が踊りたいように踊れるから先生になった。
誰かの振り付けを踊っていても少しも楽しめないことに
ある時点で気づいたのだ。
問題は私はダンスで生きていくなんて思っていなかったから
それ用のキャリアを積んできていないことだ。
ダンスは何でか知らないが、だれそれ先生に何年ついて
何とか大会で何位入賞でっていうハクみたいなものがないと
いけないということになんとなくなっている。
入賞するのはそれはもうすごいことだし、お金もエネルギーも
ときには家族や恋人まで犠牲にしてようやく勝ち取るもの
だから、それは素晴らしいことだし評価されるのは当然だ。
でも私はそういうふうに生きてこなかった。
すべては「偶然の必然」に転がりおちてきて、私にはどう
しようもなかった。
私はただ、生きていきたいだけなのだ。
私のムーブメントに一種の黒味があるらしいのはわかった。
でもみんながそれをそのままコピーすることはない。
私自身、人の動きを真似ることがめちゃめちゃ苦手だ。
人にはうまれもった骨格と神経と筋肉があり、得意な動きと
不得意な動きがどうしたって存在する。
その人にあわない動きは基本的にはできない。
それより、無理のない動きを伸ばしたほうがいいダンサーに
なるんじゃないのか。
じゃ私は何を教えるのかというと、音楽のどの部分を拾って
どういう動きにして見せればかっこいいのかという、その
方法なら教えられると思う。
私はそういうレッスンをこれからやっていこうと思っている。
音楽にはミュージシャンの数だけトリックが秘められている。
その意をくんで、形にして、ミュージシャンを喜ばせる。
ダンスというものをそういうふうにとらえるのって、
面白くないか?
GRIT from JOBY&KEIKO
TECHNIC from LIZ
RATIONALITY from PACO
JOY from JOHN&TOMO
and STILL I AM I.
SEE YOU SOON!!
12 JUNE 2007 / RIO
偶然の必然
J君の頭頂部、右ヒップ、
右足の中央に
一本のラインがひける。
前へ前へ押し出す歩み。
適度にカーブを描いた背骨。
彼の歩き方こそサルサのベーシックステップそのものだ。
サンディエゴには結局二泊することになった。
「セレブレイト事件」のあとにいったレストランが
かなり混んでいて30分も行列しなくてはいけなかった。
オンタイムのつもりでかけこんだプラットフォームには
涼しい海風が吹き抜けている。
「今行っちゃったよ」と2人の駅員さんが言う。
"You're kidding." とTさん。
"No." 2人はきっぱり言い切った。
私の「うっそっだっろ・・・」はこのころには自動翻訳で
"I can't believe this・・・"におきかわるようになっていた。
チケットをキャンセルするか、次の列車にするか考えあぐねて
いると、いったん車にもどって事情を説明していたTさんが
戻ってきた。
「Jが言うには、これは偶然の必然だって。
今晩はキューバのミュージシャンのライブにいって、明日の
朝車でロスまで送ってあげるって」
こうして予期せずして私はアメリカのキューバンスタイル
ダンスを目撃することになった。
そこには見慣れたあのダンスがあった。
少し前のめりになって、手の平をひらいて(これはLA・NY
スタイルではやらない。この持ち方だと咄嗟のダブルターンは
できない)、少し高めにキープするあの立ち姿。
サンディエゴにキューバ人は多いの?ときいたら、ほとんど
いないという。偶然の必然とはよく言ったもんだなあ。
私は昨晩町外れのレストランで踊った男性と再会して数曲
踊ってみた。私が注目するのはもちろんリズム取り。
久しぶりに1・3・4取りのステップにあった。
クラーべをスリー・ツーでたたいた場合、はじめの一つが
コーンと伸びる。このコーンの分だけ足を地面において
おくと1・3・4のステップになるのだ。
しばらくこれで踏んだあと、彼のリズムはオン2になり、
やがてオン1になった。
ラテン人が曲のカウントを数えられないことがよくあるとは
昔から言われている。
インストラクターにも、はじめはわかりやすいから1・2・3
と数えるが、慣れたら数えない、という人がたくさんいる。
クラーべはメトロノームのように厳格なのに、踊りはそれに
まったくしばられない。
かといって聴いていないというのとも違う。
これがラテン人の耳であり、ラテン人の脳であり、体であり、
人間というものの底知れない奥深さであり面白さなんだろう。
不思議といえば、LAでも、前日訪ねた小さなクラブでも、
ここでも、私の踊りをもっとも評価したのは黒人の男性たち
だった。
私のダンスは白い人たちには通じにくいか、ときとして全く
通じないのだけど、黒い人たちのどこかにひっかかるようなのだ。
これはアメリカに来てみなければわからなかった。
生きるとは持っているわずかな道具を最大限にふるうこと。
私はここから突破口を見出すことになると思う。
"Let's go celebrate!"
には数多くの銀行が
あった。
そこには独特の秩序があって、混沌とした街に一種の
静謐さを醸し出していた。
サンディエゴには夜の七時半に到着した。
TさんとJ君は真新しい一軒家の2階を間借りしている。
リビング、寝室、台所、バスルーム。
質のよい家具を少量と、ところどころにかけてある
メキシコ産のタペストリーが居心地よさを醸し出す。
Tさんはカウンセラーで、J君はミリタリーに勤務している。
2人の落ち着いた生活には明るい穏やかさが漂っていた。
といってもTさんはアメリカでのリストラといったような
手痛い経験を経て現在に到っている。
J君はペルー人の母を持つLAっ子で最近サンディエゴに
越してきた。
私が感じたとおり、やっぱり住むならLAよりサンディエゴ
だという。海岸のスタバで不動産の雑誌を見つけた二人は
一気に家購入の夢を膨らませてもりあがっている。
それは見ている私にも幸福感をもたらした。
一緒にいてかえって寂しくなる人がいる一方で、3人が
五人、十人に感じられる人もいるのはどうしてなんだろう。
J君は音楽に対してマッドというかクレイジーというか、
彼そのものが音の弾丸といった感じの人。
私が訪ねた瞬間からあれ知ってるかこれ知ってるかと
お気に入りの曲をひっきりなしにきかせては、いいだろ?
たまんないだろ〜〜?と押し売りするのだ。
アフリカンドやロス・バン・バンといった黒っぽい系統を
特に好む。
彼は一度サルサのレッスンを受けにいったが、「脚をまっすぐ
伸ばせ」といわれたのが原因で二度と行かないそうだ。
「サルサを習ったやつの踊りって全員同じだろ?
ビュッ・バッ・チャッってさ(LAスタイルダンサーの真似を
しながら)。曲には速いとこもゆっくりなとこもある。
ボクの踊り方はこう(やってみせる。まさに全身音楽魂)。」
いたいた。いたよ。
こんなにあっさり見つかっちゃっていいのかな・・・
Tさんにネットを通じて連絡をとったのが1〜2年前。
会うのは今回が初めて。そしてそのダンナというのが
今まさに私が探していた「オーディナリー・ダンサー」。
その素晴らしさはバトル・ダンサーにけしておとらない。
見ているだけで心躍る。
2人を訪ねていなかったら、今回の旅は私にとんでもない
印象を残しただけで終わっていたかもしれない。
「RIOさん、ミモザって知ってます?」
ソーセージとキャベツがどっさり入ったオムレツで朝食を
とりながらTさんがきいた。
「ミモザ?みもざ?みもざみもざ・・・」
「カクテルです。オレンジジュースとシャンパンの」
「あー、あれね、あの高いの」
「Jがあれ飲まない?って」
「え”、朝だよ」
"He~y, let's celebrate!!"
"Celebrate what?!"
"It's a beautiful da~y!!!"
「僕たちはなんでもお祝いするよ〜
日曜なのに朝10時に起きた。
得した。」
そしたら今回のタイトルを叫ぶのだそうだ。
その夜、私がチケットをとっていた7時の列車に乗る前に
どうしてもオールドタウンのメキシカンレストランに
連れていきたい、とJ君はいってぶんぶん車を飛ばした。
私はその夜、ロスにもどってグラナダというクラブに行く
予定だった。ケイコさんにもピックアップをお願いしてある
のだし、なんとしても戻るつもりではあった。
J君は音楽だけでなく運転のほうもクレイジィ。
特に今日は急いでいた。
そして漫画みたいに最後の交差点で見事にかかった。
「ウウウウウウウウウウ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!! 」
最近きいたようなサイレンと最近浴びたような白色光線。
やられた〜〜〜〜〜っとJ君がハンドルをたたく。
まだ明るいというのに、こんなにでかい警察の車がどうやって
身を潜めていられるのか。
あの白黒はシマウマ方式で敵の目をくらましているのか。
威厳のあるコップがかつかつと近づいてきた。
元気いっぱいのJ君も、高いチケットきられる・職場に通告
されるかも・ただでもない時間がますますなくなるのトリプル
ショックでうさぎのミッフィーのように口をつぐんでしまった。
「どうしたんだ?」
警官はなかなかかっこいい。
「・・駐車しようとしたら前の車がぱこぱこはじめたんで
そっちに気をとられて一時停止を見逃しました」
身分証明がミリタリーなのとJ君の態度がしおらしいのとで
警官は情状酌量を検討しはじめたようだ。
あれこれと書類に書き込んで、一週間後にこれをもって裁判所に
行けとのことだった。
そこで罰金なり社会奉仕なりが言い渡されるのかもしれない。
もともと私に少しでも楽しんでもらおうと思ってやったこと
なのだ。申し訳なかった。
警官が去ると、J君はおろしていたウィンドウをぐいぐいぐいっ
とあげて高らかに宣言した。
"LET'S GO CELEBRATE!!"
"Do you have an accounty?"
アメリカ到着初日に
いただいたランチ。
ケイコさんはアボガド好きでよく料理に使う。
スープのほうはメキシコから単身アメリカに
乗り込んだBFが作りおきしていったものだそう。
食事に関してはやはり同じ国籍の者同士のほうが
何かと便利だ。
金曜日。
ネットで知り合ったサンディエゴのTさんに会いにいく日だ。
車で30分のユニオン・ステーションまでケイコさんに送って
もらい(私の車はその日の午前中に返してしまった。週末は
車は二台いらないことがはっきりしたからだ)、私は今回の
滞在中はじめてサルサからつかの間離れる時間を得た。
はじめての列車には驚くことばかりだった。
まず、駅においてあるソファがものすごくゴージャス。
茶色の革張りで、オークか何かの木の枠でどっしり作ってある。
一日電車待ちをしても、サンドイッチと本さえあれば全然苦に
ならないだろう。
次に、列車の旅でも飛行機と同じようにバゲッジを預けて
目的地でがごんがごん出てくるシステムになっている。
私はこの日はじめてロサンゼルスの中心街を歩けることに
なったので、送るというのでなく荷物を一時預かりして
もらいたかった。
ところがロッカーはなくて、有人のカウンターに預けて
札をもらうシステムになっている。
窓口には警官みたいなおねえさんがいて、列車のチケットと
IDを見せろといってきた。
二時間荷物を預けるだけのになんでチケットがいるんだよ・・・
ぶつぶつ言いながら買いにいく。
窓口にはすごい行列ができていたので、クレジットカードが
通せる自動販売機(一台しかない)でサンディエゴまで、
34ドルの切符を購入した。
便を指定するシステムだから、日本でいう特急に近い。
それからもう一度窓口に出直したらシャッターが下りていた。
まあ、ありがちっちゃありがちなんだろうけど。
ため息が出た。
30分がかりで荷物を預けて向かった先はチャイナタウン。
トラベラーズチェックを現金にするための銀行が
GARDENA市には見つからなかったからだ。
インフォメーションできいたらチャイナタウンにアメリカン・
バンクがあるはずでそれが一番近いとのこと。
徒歩10分ならいいか、と炎天下の中散歩をかねて駅を
あとにした。
駅のすぐそばにメキシコの民芸品店や料理店が並ぶ一角が
ある。極彩色の衣装は彼らの浅黒い肌には似会うだろうと
思われたけど、私が着てもお互いに不幸なだけ。
写真だけにとどめておくことにした。
それからさらに5分歩くとチャイナタウンに入る。
あたりは朱色と漢字でいっぱいだ。
ここには郊外と違ってアジア風「ぶらぶら歩き文化」が
残っている。
小さなおばちゃんたちがビニール袋をさげてサンダルで
ぺたぺた歩く姿をもう何年も見ていなかった気がした。
一番近い銀行はアメリカンバンクではなかった。
中華系の銀行がその手前にいくつもある。
インフォメーションの白人のおばちゃんにとって、中華系の
銀行はまったく関係のない世界の話なのだろう。
私はまっかっかなりに端正な趣のある大きな建物のドアを
押した。
"Can I change my travellers check to money?"
"Sure. Go ahead and wait over there."
アメリカ滞在中、私が心癒された場所の一つが実は銀行
だったといったらわかってもらえるだろうか。
一軒目はホームステイ先のGARDENAで、二件目はチャイナ
タウンで銀行に立ち寄ったが、そこにいる女性たちの
落ち着いた物腰と、一見さんに向けるまなざしのあたたかさ
には救われるような思いがした。
GARDENAの銀行では、口座のないお客さんとは残念ながら
取引ができないのだが、こうこうこんな口座がありますから
作ってみてはいかがですか?というようなことをさりげなく
もちかけられた。
ダメですはいさようなら、じゃなくて気持ちよく引き取って
もらうための工夫をする余裕があるのだ。
それだったらこちらも、残念ながらここには一週間しかいない
のだ、というようなことを言ってお互いに「それはそれは。
お役にたてずごめんなさいね」という顔で別れられる。
よいサービスの裏にはよいバックボーンがなければならない。
銀行に勤められることは海外では成功を意味する。
私は日本でそう感じたことはあまりなかったが、もしアメリカ
に暮らしていたら金融業というものに対する見方が少しは
違っていたかもしれないと思った。
銀行は何系列かによって勤めている人の顔も違う。
チャイナタウンの銀行の窓口に並ぶ女性は全員中国系だった。
窓口でトラベラーズチェックをさしだした相手は比較的若い
銀行員だった。トラベラーズチェックを扱うのがはじめて
だったのだろう。
彼女が私に尋ねた台詞が今回のタイトル。
滞在中二回目の質問だ。
でも、そうくるとは予期していなかったので思わず
"What do you mean by accounty?"
と聞き返した。
このころになると頭で考えるより先に言葉がでてくる。
すると全体を統括するベテランの女性が即座にやってきて、
新人さんにトラベラーズチェックの換金は口座と関係が
ないことをそっとささやいた。
そして彼女は私がいらいらしないように「待っててください」
とか「今控えをとりますから」などと何かと声をかけながら
仕事をすすめてくれた。
荷物預かりの女性と銀行の女性。
日本より社会的立ち位置の差がくっきりしている。
成功に対する情熱が桁外れのこの国の現実が、少しずつ
明らかになってゆく。
私は気持ちよく300ドルを得て、混沌としたマーケットに
入っていった。
履いていった靴はここには暑苦しすぎる。
素足にはけるサンダルがぜひとも必要だった。
"It's up to you. "
アメリカのダンス
スタジオはどこも広い。
一つの会場に複数のグループやペアが入ることもよくある。
また、社交ダンスとサルサはジャンルとして近い立場に
あって、同じ会場をよく利用している。
スタジオ予約できゅうきゅうする東京はやはりダンスに厳しい
環境といえるだろう。
グループレッスンはロスでジョビーのスタイリング、
サンディエゴでマイクという社交ダンサーから
ウォーキングとスポット(回転するときに視線を固定する
こと)のクラスを受けました。
ジョビーのスタイリングクラスでは10分近くにわたる
腹筋運動でばこばこにやられたよ〜。マドンナの曲に
あわせてストレッチと筋トレを同時にこなしていきます。
ありとあらゆるバリエーションを駆使した強烈な筋トレ
でした。翌日のお腹の痛さは・・・まあ泣きネタは3回
続けないってことでこれ以上はいいまっせん。
参加者は20名程度で、そのうち半分から三分の二がチーム
「ジョビー・ブラバ」のメンバー、それ以外が一般の参加者。
年齢層は一番若くて20歳くらい、一番上は40代後半の
貫禄のあるご婦人でした。
といっても女の固まりみたいな感じで色気たっぷりです。
中には明らかにプロフェッショナルというダンサーもいて、
ジョビーが振りを忘れると生徒席から先週はああだったこう
だったと声が飛びます。あれはちょっぴり冷や汗の出る光景
だったかな・・・
ビギナークラスでは7つ程度のシャインの振りつけを学び、
最後に曲にあわせて通していきます。
インターミディエイトのクラスではシャインに加えてクロス
ボディリードのバリエーションを学びます。
女性の主導でクロスボディリードの前半1・2・3に飾りを
つけていく練習です。
これは完全に女性の判断でぽんといれていいことになっています。
このときの台詞が今回のタイトル。ペアダンスの中で女が
やっていいことと悪いことの区別も今回の収穫の一つです。
男性のほうもびっくりしないで、後半5・6・7をいつも通り
リードしてください。
足腰がかなり強くないと一瞬で決まらないので(時間にすると
2・3秒の間にやりきらないといけない)、純粋に体力と筋力が
必要だった。この練習は女性が二人一組になって、一人が男性
の役をしながら行います。
私はたまたま前述のご婦人がお隣だったので組になりました。
相当強いテンションで、LAスタイルの女性の重みがリアルに
わかって興味深かったです。
それからサンディエゴで教わったウォーキング。
これは社交ダンスのルンバ用の歩き方だ、といわれました。
社交ダンス経験者の方は今度、同じことをやったか教えて
くださいね。
前に進む際、四段階にわけて足をすすめていく練習をしつこく
繰り返します。死ぬほど退屈だけど筋肉がぶるぶる震えてくる。
いい練習してるなあと感心しながらうんざりしてました。
音楽が古いホテルのロビーにかかってるみたいのだったんだ
もん・・・
でもこの歩き方ができるとちょっとしたことでもサマになるな、
と思ったので、これからもずっと続けることにします。
スポットのほうは頭を前方に残して回っていくもので、いわゆる
トラベリングターンの練習でした。
両方とも綺麗にサルサを踊るためには必須かなと思います。
社交ダンスがサルサのレベルアップに直結することを実感した、
非常に実り多い時間となりました。
ただし、サルサの場合ダーティな魅力も捨てがたいものがある
ので、帰りの飛行機の中でこれらのエッセンスをどうレッスンに
とりいれるべきかじっくり検討しようと思っています。
June 11, 2007
"You should be more careful."
アメリカンサイズの
ブルーベリー&
サワークリーム
パンケーキ。
車で移動していると緊張のせいかものすごくお腹がすく。
でも途中でちょっとつまむとかトイレに行くとか、そういう
あたりまえのことが容易にできない。
海外に出ると荷物と自分の管理がダブルでめんどうだ。
車も。
ケイコさんが「駐車違反で38ドルも払わないといけない。
どうしよう、そんなお金ないよ」と嘆いている。
アメリカの警察はものすごく厳しい。あっちこちに蜘蛛の
ようにひそんでいて、ねらった獲物は逃さないという感じだ。
私は夜のフリーウェイの入り口で見事にかかった。後ろから
「ウウウウウ〜」という爆音と真っ白なライトで脅されては
到底逃げ切れるものではない。アメリカで運転をはじめて
二日目。洗礼といえばいえなくもないが、あああ、また
ブログネタができちゃったよ・・・とつぶやくよりない。
後ろからはこちらのナンバーを控えたり、酔っ払いや危険
人物ではないかどうか様子を探っているのがひしひし伝わって
くる。たっぷり3分以上待たされて、サーチライトを照らし
ながらアジア系のこわもての警官が用心深く近づいてきた。
夜なので向こうも慎重だ。マニュアルのぐるぐるウィンドウを
開けるときの気分は無力なハッチだ。
"Do you have a license?" "Yes"
"Do you speak English?" "A little bit(ケイコさんから
できないフリをして見逃してもらったことがある、と聞いて
いたので、できないムードを演出する。別にわざわざ演出する
までもないんだけどさ)"
"Do you know what you did?" "No. What kind of mistake
did I make?"
"You drove into the ○○" "???"
"○○."
この続きの警官の台詞が今回のタイトル。
私は心で叫ぶ。
I can't be more careful!!!!!
It's my ma〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜x!!!!!
そんな気分で時速80マイルで走らなきゃいけないなんて
クレイジーだよね。
それってあとで計算したら時速128キロなんだよ?!
ゆっくり行きゃいいじゃんて安易に言っちゃやだやだ。
これだけ出さないと高速道路そのものに乗れないの。
追突されちゃうのよ。タフだった・・・
死にそうな気分で家まで走りぬいた。
フリーウェイのインターチェンジを間違えないこと、一般道に
入ってから左車線に入らないことで頭も体もふらふらだ。
家の前の狭い狭い隙間に車を押し込んだ瞬間が奇跡に思えた。
ギアをパーキングにいれ、ハンドブレーキをぎぎっとひきあげた
とき、体いっぱいに達成感がわきあがってきた。
すごい。やった。一人で夜のフリーウェイに乗って、走り
きったよ・・・
感動いっぱいでライトを消し、キーを手前にまわした。
車が静寂につつまれる。そして。
れ?
キーが抜けない。
がちゃがちゃ・・・しようと思ってもキーが何かにかまれた
みたいにがっちりロックされて動かない。
え?なに?なんで?
さっきの警官の○○のところを答えないと抜けないのかな?
私は2分くらいいろいろなことにトライして、とうとうばったり
シートに後頭部をぶっつけた。
どうして自分ていつもこうなっちゃうんだろう。
どうして最後の最後で馬鹿みたいなことになっちゃうんだろう。
ケイコさんはブラバのミーティングのあとそのままBFの家に
泊まるといっていた。
キーが抜けなければ私は家に入れない。
せっかく家まで帰ってきたのに車で夜明かし?!
今日は警察にとっつかまったんだよ?!
夕食は?シャワーは?ブログは?
私は有罪確実の被告みたいな気分で、隣家のケンちゃんちの
ベルを鳴らした。前の晩に間違って車を止めちゃって迷惑を
かけたので、お詫びに朝オレンジビターチョコレートをあげた
そのごめんなさいの乾かない舌でまた頼りに行かなければ
いけない。
自己嫌悪で死んでしまいたかった。
明かりはついているが、何回か呼び鈴を鳴らしても
返事がない。
そりゃそうだ。もう夜も遅い。
窓をこんこんこんこんとたたいて
「ケンちゃん、ケンちゃーん。」
と小声で呼んだら
「ちょっと待って〜」という声がきこえた。
これから説明する内容のアホさを思うと情けなくて涙が
出てくる。
ケンちゃんはとんとんとんとんと階段をおりながら事情を
きくと、「ん?ん?」とあちこちいじってみて「ギアが入って
ないのかな」とつぶやいたかと思うと、がこんとギアをいれ
直してあっさりキーを抜いた。その間およそ30秒。
ギアがパーキングにちゃんと入ってなくてキーが抜けない
なんて、これまで何回も運転して初めてのことだ。
アメリカで、深夜に、一人のときに、こういうことがおこる。
それが、私なんだ・・・。
私がめちゃめちゃ落ち込んでいるのを見て憐れをもよおした
のか、それからケンちゃんは30分間もアメリカでの運転の
失敗話を披露してなぐさめてくれた。
しんと静まり返った家に入る。
あああ、いつになったら泣かないですむのかな・・・。
アメリカ、三日目の夜。
June 10, 2007
"Do you think LA style should be showy?" "No."
フランチェスコ・エバンジェリスタ。
通称パコ、もしくは日本では
「クリちゃん」←髪型からだ
そうです。本人談。
もとサルサ・ブラバのメンバーで現在はジョビーとチームを組んで
います。
彼の教え方がいいとは日本でも聞いていました。
彼にはリードとフォローについての考え方をブラッシュ
アップしたいというテーマで教わりました。
むうう、実際すばらしかったです。
まず、ベーシックステップについては最初の一歩だけ
しっかりリードしてあとは気持ちよく流していく。
このとき手をフックの形にしたときの指の背のところを
女性の手のひらにあてて指示を出すとスムーズに入れます。
クロスボディリードはオープンポジションの右手だけで
できるように練習するとイメージがつかみやすい。
女性が半回転以上しないように、右手でまっすぐのラインを
描いていきます。これに左手を添えるイメージで完成させ
ました。
インサイドターンをかける場合概念が変わります。
前半は右手、4で左手にリーダー役をスイッチする。
実に明快で気持ちいい説明でした。
ライトターンは1・2・3の前振りだけで安心してはならない。
回転の数を決めるのは男性なのだから、前振りだけで
まわってもらおうとしてはならないし、女性も前振りだけで
そのあと自分が勝手にまわってはいけない。
もし後半のリードがなければ女性はそのまままわらずに待って
いなければいけない。
これは長い目で見て非常に重要なことなんだよ、とことさらに
強調していました。
レッスンのあとの雑談の中で、LAスタイルについてのパコの
考え方をきいてみました。
「何がLAスタイルをLAスタイルたらしめていると思いますか?」
「強いていえばON1てことだけど、今はいろいろな踊り方の
人がLAに入ってきているからひとことで説明することは難しいね」
それに続いたのが今回のタイトルです。
みんなにとってもこれは興味深いところだと思いますので、
続きも紹介しましょう。
「パフォーマンスのときは別だよ。
でも普段の自分はナチュラルに力を抜いて踊っている。」
"And you think you ARE the LA style dancer?"
"YES."
スタジオを出ると夕日に包まれました。
今回の滞在中3回訪れたスター・スタジオ。
初めて自力で運転してきたとき、すぐそばまで来ていながら
入り口がわからなくて右往左往してクラクションを鳴らされた
のもいい思い出に。
駐車場に向かう途中でいかにもラテンなおじさんに声を
かけられた。そのまま通過して、はっと振り向く。
「ごめんなさい、今考え事してた。あなたはサルサを踊りますか?」
「踊る踊る〜♪」
「LAスタイルという言葉をきいたことはありますか?」
「ないね〜♪」
「LAに暮らして何年になりますか?」
「三十年だね〜♪」
オーディナリー・ピープル。
彼が危うく忘れかけていたことに気づかせてくれた。
その存在をどうとらえるかで私のスタイル、教え方は
全く違ってくる。
30年ロスに暮らして、サルサが生活の一部になっていて、
かつLAスタイルという言葉を一度もきいたことのない人が
この街にはきっと山ほどいるのだ。
いや、むしろそういう人こそが大部分なのに違いない。
先が見えそうで見えない。
あとほんの少しなのに・・・あとちょっとなのにともがき
ながら今日もまた一日が過ぎていく。
私はどこへ向かっているんだろう。
"You look like a little girl."
運命をともにした
トヨタ。
幸い私もヤツも
まだ生きている。
安い服があると教えられて訪ねたこのあたりは、主に黒人たちの
居住地域だった。LAの中にはブロックごとのすみわけがあるようだ。
LAスタイルの正体がいかなるものか。
これは今回の旅の最大のテーマだ。
LAスタイルはキューバン、ニューヨークと並んで
「THE」という冠詞を伴うにふさわしい存在感を発揮
している。
なぜ、どうして、この三つなのか。
アメリカは広い。
ラテンアメリカも含めたら絶句するほど広い。
その中で、なぜ、どうして、何をもってこの三つなのか。
スティーブンズ・ステーキハウスはLAスタイルの
ダンサーにとって欠かせないクラブ、と日本で聞いていた。
LAで最高のダンサーが集まるクラブの一つだということと、
日曜日に激安で食べ放題をやってくれるという二点において。
今回私は日曜にLAに滞在することができなかったけれど、
火曜のスティーブンズがいい、ということで行ってみることに
した。
スティーブンズ・ステーキハウスはその名の通り、れっきと
したレストランである。
真っ白のテーブルクロスがかけてあるところから、かなりの
高級レストランであることがわかるけれども、食事が目的の
人はほとんどいなくてみんなダンスに来ている。
前にバンド用のステージがあって、その前の空間がダンスの
ために解放されている。火曜はバンドはなしで、DJがプレイ
していた。
アメリカのクラブでダンサーに好まれる曲は日本とは違うよ、
とも聞いていた。
自由にダンスが構築できる曲がいいみたいだね、というふうに。
私が思うに、日本との最大の違いはチャチャチャが非常によく
かかるということ。5,6曲に一曲くらいの割合でかかる。
メレンゲ・バチャータはチャチャチャと同じかそれ以下しか
かからず、レゲトンはいっさいなし。
また、曲は全体的に渋好みで、サルサ・ロマンティカ系の
甘いのは全くかからない。ごん太系、とでも言おうか。
日本では大人気のマーク・アンソニーはアメリカ滞在中
一回しか聞かなかった。
LAスタイルについてはっきりした印象が見えてきたのは
実は後にロサンゼルスを離れてからのことだった。
比較の対象がないと、物事の意味はわからない。
ここに書くストーリーは私がまだLAの人々のサルサしか
見ていないときのこと。
私ははじめての本場のサルサをキューバで見た。
キューバ人のダンスはベースにソンとルンバを色濃く残して
いる。この二つのステップの上に、男性が女性を複雑怪奇に
まわしていく踊り方がのっかっているような感じだ。
ルンバは男性と女性が距離をおいて、ひとつのストーリーを
語るような形で踊っていくので、キューバ人も男女が離れて
踊ることに対して慣れている。それぞれが独立してうまい。
組んでもうまい。子供も老人もそれぞれにうまい。味がある。
というわけで、私にとって男女が別々に踊ることはごく
あたりまえの光景だった。
スティーブンス・ステーキハウスで「事件」がおこったのは
到着してシューズをはきかえてすぐのことだった。
一人の老人が近づいてきて私を誘った。
非常にうまい。いわゆる「サボール」のある人である。
いっさい組まないけれど、私はこの人のダンスはとてもいいと
思った。踊りながらさまざまな技、というか音のとり方を
盗ませてもらった。日本の老人にもごくまれにこういう感覚の
持ち主がいる、というような踊り方である。
3曲続けて踊ったところで私のステイ先のケイコさんがすっと
寄ってきて、「私の友達を紹介するから」とまだまだ踊りた
そうな老人から私を引き離した。
「あの人、みんなから嫌われてるんだよ。
リードしないんだったら誘わなきゃいいのにね」
クラブで同じパートナーを何曲も誘い続けるのはルール違反。
これはいちおう常識の範囲内である。
しかし、彼のようなダンスを踊る人がLAで嫌われている、独立
して踊る人が認められない、という事実はほとんど衝撃だった。
私はそのあと紹介してもらったケイコさんの友人たちと踊る
どころではなかった。呆然自失。
うまい人が認められないのか、ここは・・・。
LAほどの目の肥えた人々の集まる大都会で、多様性が認められ
ないとしたら・・・あのようなサボールの持ち主はどこへ
行けばいいのだろう?
本来なら拍手喝采を受けてもいいような技量の持ち主なので
ある。ある意味ここの読者がもっとも望んでいるものを持って
いる老人だったといってもいい。それが、リードしないからと
一蹴されてしまうLA。これは現実なのか。
何かの間違いじゃないのか。
私は動揺して、そのあと踊るどの人とも楽しめなくなった。
数人踊ってまったく手ごたえのない状態で、追い討ちをかける
ように私を悲しませる出来事がおこった。
私を誘った非常に紳士的に見えた黒人の長身の男性が、
踊りながら周囲に目配せをするという最悪のルール違反を
はじめたのだ。
クラブの常連としてもっともやってはいけない行為である。
一曲が永遠に感じられた。
早くここから逃げ出したい。
そのとき感じたのはそれだけだった。
フロアを抜け出し、周囲を取り囲むようにしつらえてある
バーカウンターの後ろで人々でいっぱいのフロアを見ていた。
見ているような振りをしていた。
こんな思いをするために私はこんなに遠くまで来たのだろうか。
「今夜オレとすごさないか」
からみつくようなスペイン語とともに抱きすくめられたのは
その直後。
一瞬体が凍る。
思い切りふりほどいて後ろを振り返った。
「カルロス?!」
ケイコさんの友人で、昨晩紹介されたばかりのカルロスが
大笑いしている。
それに続いたのが今日のタイトル。
「ひどいなあ・・・!!」とあきれて見せてから
「うん、そう。まさにそういう気分だった。踊って?」
もう一曲の半ばを過ぎていたサルサで踊った。
昨晩はまったくあわなかったカルロスだが、今日は少しましに
なったかなという感じ。
さっきの無礼千万の黒人の男が近づいてきたのはその直後
だった。「もう一曲踊りますか?」と言う。
なんだか誰も信じられなくなっていた。
どうでもいい気分で応じる。
ところが彼の態度がさっきと少し違うのだ。
気をつかってリードしてくれるのがわかる。
・・・わけがわからない。
二曲踊ってドリンクを注文するカウンターに誘われた。
皆車で来ているのでアルコールをオーダーする人はほとんど
いない。
彼もミネラルウォーターを二本頼んで、私に向き直った。
まず自己紹介をしてくる。私も名前くらいは言う。
「今度日本に行くんだけれども、連絡先を教えてもらえますか」
今晩はどうかしている。
全体がちぐはぐなのだ。
いわゆるナンパというのとも感じが違う。
彼は立ち振る舞いや話し方、物腰全体に知性がある。
そういう雰囲気は、どうしたってつくろったりごまかしたり
できないものだ。
ビジネスで日本に行く、という言葉につくりはまったく
感じられなかった。
どうしてそんなこと言うんですか?という顔、以外に
できることがない。
社交辞令を続けてその場をしのぐ。
とにかく本意がわかるまでは油断はできない。
さっきあれほどいやな思いをさせた張本人なのだ。
LAのサルサについて話を持っていき、ここの人たちの踊り方は
とても難しく感じられるのだけど、と言ってみた。
ここにいかにも来慣れている感じの彼がなんと言うか、この際
だから切りかえしてみよう。
「難しい?どうして?!」
彼はびっくりした顔をした。
"Your dance’s very good."
「へ?」
シンプルな言葉が衝撃だった。
さっきまで人をばかにしていたではないか?!
" 'cause you feel music like we do!"
「は?」
"You have your own style.
My friends thought so too while we're dancing.
You don't have to be showy. Passion."
私はホントに子供みたいにわんわん泣き出してしまった。
いるんだ、こんな「サーカス一座」みたいな人たちの中に、
私のやってることわかる人が?!
帰り際、ケイコさんに
「○○さんとずっと話してたでしょ。
あの人いいリードするよねえ。何話してたの?」と言われた。
言葉が出てこない。
ただ一人、霧の中に放り出されていた。
ロス二日目の夜のことだった。