November 05, 2014

もしそのとき踊っていたならば

中東やアフリカの武装集団による暴行・虐殺が連日伝えられ
そのむごさに家事も仕事も手につかなくなることがあります。
特にナイジェリアでイスラム系武装集団ボコ・ハラムに性の
奴隷として拉致された276人の女子生徒たちが先日、すでに
望まない結婚を強いられたというニュースを見てからは、
踊る気力を奮い立たせるハードルがまた一段あがったように
感じています。彼女たちのなかにはすでに妊娠をしている
人も出てきていることでしょう。これは古代や中世の話では
ありません。しかもナイジェリアはアフリカの中ではむしろ
開発の進んだ国として認知されているはずです。
宇宙ステーションが開発され情報が瞬時に世界で共有される
21世紀にあって、この残忍、この非人道に対して為すすべない
現実。どうにも、こうにも、この煮えくりかえる思いをしずめる
ことができずにいます。

もう10年ほども前になるでしょうか、沖縄に旅をしたときに
運よく大きな運動場でエイサーの大会が開催されるのに行き
会いました。大きな空、暖かい海風に包まれて次々に披露
される力強い演舞を壇上から見守ったことは忘れがたい経験
でした。
このとき臨席の50歳前後の男性が熱をこめて語っていたこと
があります。彼は学校の教師だということでした。もしアメリカ
軍が上陸してきたとき、県民がこのエイサーを一丸となって
踊っていたら、もしかして、ひょっとして、殺されることは
なかったのではないかと。俺はどうしてもその気持ちをぬぐえ
ないんだ、と。
現実はそうはいかなかった、そうできればそうしていただろう
とは思います。しかしその男性のおっしゃることを必ずしも
幻想とも言い切れないような確かな力が、エイサーの太鼓、
掛け声、群舞にまぎれもなく宿っているのを目撃していました。
県民の無念とはこのようなものであったかと今でもその言葉を
忘れることができません。

ナイジェリアからは多くの奴隷がキューバに渡っていきました。
その豊かなリズムがラテン音楽の根幹を成し、今もサルサに
息づいている、というよりもそのまま生き残っています。
音楽があり、ダンスがあるということは少なくともそこが戦場で
ないことの証です。平和であることの確かな証拠です。一方で、
戦いとしての歌、戦いとしてのダンスもあるのに違いありません。
サルサは元来そのような環境の中で誕生し成長してきました。
ナイジェリアの女の子たちがどうか、父から、母から語り継が
れた歌を口ずさんでいてほしいと願うほかに何かできないのか。
私は昨日はじめて、アムネスティのホームページを訪問しました。

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