April 15, 2012

キース・リチャーズのオトコっぷり

あーうー・・・仕事のしすぎだ。間違いない。

今週はものすごかった。水曜日に大雨が降ってお客さんがKちゃんだけだった。それで二人で一時間、延々パフォーマンス練習をした。明日お尻が前にあったらどうしようってくらいひねりまくった。一応無事にまだ後ろ側についている。木曜日は二時半から九時半まで連続七時間の振り付けと踊りこみと新曲の編集と打ち合わせとついでにリハーサル。その間食べられたのはバナナだけ。空いている場所がお台場しかなかったのでそんなとこまでいって海を見るでもなく。

パフォーマンスをこんなにいくつもまわしているときにどうしてよりによってインスピレーションがおりてくるんだろう?多分、おいこまれているときのほうがアイデアは湧きやすいのだろう。

そして夜はこってりと化粧をしたためて2012新生KARAKURIの撮影(イベント提出用)をとって、その後R10の振り付けをする。今度(4/28)のR10はジュリ扇仕様。これに帽子のles vanillesとKz&RIOが絡む。今回も、前回1/28のプラチナさんで始まったシリーズ「ちょっとしたショー」になっている。ぜひ横浜で見てください。どーかなりそうなくらいみんながんばってくれているよ。ワタシの妄想をかなえる力は出演者からもらっているわけで、本当に感謝している。

ほんとはかーちゃんを呼びたいとこだね。「ご挨拶」にあるとおり実に点の辛いかーちゃん(ねーちゃんはもっとひどい)なんだけれども、その批評がストライクなのでいつも報われる。それから後輩のMちゃん。R10のCan't take my eyes off of youを見て「ライザ・ミネリみたいでした」と本気で言ってくれた(嘘は言わない人なのだ)。ストライクな人っていうのは本当にありがたいものだと思う。そういえばここに書いているような演目はまだYouTubeにアップをしていないんだね。わざとじゃないんだけど、うーん、やっぱりわざとなのかな、わかんないな〜〜〜?!やっぱり本番を見てもらいたいかな。それもできれば正面の真ん中で。わああああ面白かった〜〜〜って思ってもらおうと思って作っているから。1/28にいただいた拍手と言葉とまなざしがね、あれがやっぱりすごかった。これからも気合の入ったびっくりを作りだしていきたい。

今日はスタジオ取りのために早朝おきてきて半ば寝た状態でネット予約を果たして安心して二時間寝なおしてから今度はKARAKURI→R10→まだ無名のOn2シャインチームをはしごする。昨今シャインが中心なので足腰だけでなく胃がへたれて食欲もなくなってくるんだが、これもまた不思議なものでこういうめちゃくちゃな日にこそなぜか新しいステップができる。もう時間ない、限界だ、食べるものはあっても食べられない、くらいのときがなぜか感性は冴える。作るときはばっと作って貯めるときに貯めるという感じ。今のこのパフォーマンスラッシュ(R10、les vanilles、Kz&RIO二作、KARAKURI、On2シャインチームの合計六本同時進行)という状態は生きてる間でもそんなにないことだろうと思うので、年末年始にたっぷり休ませてもらった分、今は作る時期に突入してるんだろうと思って。栄養の取り方も前より要領を得てきたところでもあるしきっとうまくやれるだろう。

話は変わって、この二ヶ月くらいかな、空いた時間は有名人の自伝を読んできた。キャサリン・ヘップバーン、ブリジット・バルドー、マルレーネ・ディートリッヒ、本人でなく息子によるものだけれどハンフリー・ボガード、そして今はキース・リチャーズ。読めばいやでも著者を好きになる。いろいろいわれていても会えば好きになっちゃうみたいなもので、それぞれにいい。きっかけはアメリカで最も偉大な女優とされているのはマリリンでもオードリーでもなくキャサリンだ、ということを何かのきっかけで知ったことにある。なんでかなということでキャサリン・ヘップバーンを読み始めてから芋づる式にこうなった。読んでみればこれらの人々が周囲からどういわれようがどんなウソッぱちを書かれようが、なにくそと自分の信念を曲げなかったということがわかる。周囲からどういわれたか、どう扱われたかで揺らいでしまった人、たとえばローリング・ストーンズの創設者の一人といわれるブライアン・ジョーンズのような人は才能があっても造作が美しくても仕事を全うできなかった。何をもっとも重要だと考えているかということ。

おそらく友人を持つことだろう、それも様々な種類の友人を、というのが今現在の実感としてあって・・・わー変わったなー自分も。でも本当にそう思う。率直にものがいえて、いいものを共有できる友人がいない人生は骨と皮だけだよ。皮肉にもワタシの最も古い友人二人は「人生に相方や友人なんて必要だと思う?思わない」とほぼ同時に同じようなことを言った。そりゃ言われたワタシはかなしい。でもそういうことを言わせてあげるのもトモダチだろ〜〜〜ワハハハ!!!とにかくたとえ友人だって考え方まで巻き込むことはできないよ、でもいいものを共有できるとか、一つのことに熱中できるとか、そういうときにともに時間をすごす友人がいなかったら、人生という巨大は歯車はまわりはしない。

ところでキース・リチャーズは実にいいヒントをくれたんだよね。

「ライブは何よりも重要だが、レコードはそれに太鼓判を押すようなものだ」

ライブを「クラブダンス」、レコードを「パフォーマンス」におきかえると・・・そうなんだ、そうなんだよ。一番大事なのは即興で素晴らしいダンスを踊ること。しかし積み上げて練りこんでのったくって生み出す一作は、そこに音楽の編集、衣装の手配、人間関係の構築、写真の撮影、スタジオの手配、何より振り付けの試行錯誤、イベンテーターとのときに煩雑なやりとり、そして襲い掛かる体中の痛みと本番のプレッシャーといった様々の条件を全てクリアして、みんなの拍手喝采という太鼓判をもらうためのものだと今はわかる。もともとワタシはクサいものが嫌いだから、一見甘い作品に見えても中途半端に演劇のふりかけをまぶしたようなものを出すつもりはない。未熟だった自分も場数と反省を重ねてよりシャープな、よりエキサイティングなものを作る気持ちは今が最高潮をむかえている。

キース・リチャーズも曲作りのときは朝も昼も夜もなかったという。この域に達した人をドラッグなんぞで語るのは意味のないことだ。作って作って作った。演奏して演奏して演奏した。かつて自分のヒーローだった人たちと人間としてふれあい共演を果たした。ドラッグまみれになってなおかつ、ここまで人生というものを豊かに生きている人も珍しい。私は四十年遅れでやっぱりキースのことを好きにならずにはいられなかった。何が何でも信念を通し世界中にたくさんの友人がいるこの人は本当に器のでかい人だ。そのキースは母上のなくなる間際にギターを弾いてきかせたら「ちょっと音程が外れてたわね」といわれたそうだ。耳の確かな母を持つのは幸運なことだろうし、本人も明らかにそれを感じているけれど、だからといって家族に溺れない。こういう人だから友人にも恵まれるのだろう。


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