March 19, 2012

ずるい話

前にボサノバはずるいとここに書いたことがあるのを覚えている。
同じようにUAもずるいジャンルに属する歌い手だと思う。

要するに「それが好きと言っておけば誰もが納得し『いけてない人』に分類されるおそれがさしあたってなくなる」という点で共通しているのだった。で、そのUAのアルバムをBGMに日曜日の夜をすごしている自分は完全にずるい。

日曜日ということばが持つステキさとザンネンさを失ってもう何年になるだろう。日曜日という言葉が自動的にもたらすゆるくて自由な感じと現実の「よいレッスンのために心と身体の準備をする」感覚との板ばさみになったどっちつかずの混乱はいまだに解消されていない。今朝は目覚めたとき「今日は何曜日で自分はどこにいて何をすることになっているんだっけ」と思った。大体は目覚めてから最初に思うのは今日は何曜日かということで二番目にはどこかが痛いということなんだけれども、今日は本当に何曜日か全然わからなくなっていた。

それくらいこの数週間で状況は突如切迫してきたのだった。

この年明け、自分は心して仕事の量には注意するようにとくれぐれも自分に言い聞かせたはずだった。だからはじめてワタシの苦手な「断る」という外交手段も投入したはずだったのだ。しかしそれは見事に押し流された。詳細は書けないけれども、とにかく断ったはずのイベントにワタシはババンと写真入りで「出演」しており、ムリと思われたイベントにはどういうわけかぎりぎりになって条件が整って「出演」できることになっているのだった。こういう風向きは自力では押し戻せない。できることは、カレンダーを眠る前に一度は見ること。朝おきたらもう一度見ること。それもその日だけの分を見て、その続きはけして見ないこと。それだけなのだ。そして今そのときにできることだけを全力でやる。それがお風呂だろうが朝のコーヒーだろうが、そういうことを全力でやる。明日・あるいはあさって、あるいは一週間後の何かに今この瞬間が翻弄されないようにしっかりと立っていないといけない。それが自分の心を守るうえで絶対に必要なことなのだ。

今、この教室は三度目の初期化の状態をむかえている。初期化、つまりこれから成長の余地の十分ある男性が女性の数をかなり超えた状態でいる、という状態のことだ。教室は四季と同じで、春夏秋冬を繰り返す。ダンスに対する情熱はかつては女性のほうが圧倒的に男性を数で凌駕していたことは間違いないと思うが、ことサルサに関しては今現在、逆転現象が生じている。これは統計をとることはできないからわからないけれども、おそらくそうだろうと自分が感じることを書いている。もしかすると女性たちは生きるのに精一杯でダンスが踊れないのかもしれない。だとしたら本当になんとかしなくてはいけない。なぜならサルサやバチャータを踊って感じられる人間のぬくもりは通常の生活にはありえないものだからだ。満員電車で隣の人の手を握ったら犯罪である。しかしサルサダンスの世界では「手を握らなかったら犯罪」なのだから、もうとにかく根底からしてハーティーなのだ。その魅力を知り上手に人生に咲かせる人は次のステップへ、つまり「サルサを含んだ人生全体の充実」に向けて飛び立っていく。そうして世代交代がおこなわれ、教室は次の春を迎えるのだ。

昨年、私は一度に歳をとった。これは年齢の話でなく、あるとき突然「自分は歳をとった」ということを知る。これは自分がもっとも苦手としていた「NOといえない」という最大の欠点を突き破ったときに深く自覚したことである。実際はどうかというとNOといったはずのイベントに自分の写真が出ているという事態になって物事の深遠さに気付いたわけだけれども、とにかくワタシは「ノーといえるニッポン」にむけてようやくめどがついたのだ。思えば長かった・・・が、とにかく冬は過ぎたのだ。ワタシはサルサとバチャータを含むラテンダンスの世界に多様な楽しみ方があることを知っており、人生は驚異に満ちたものであることを知りつつあり、人は長く複雑な歴史を経てその片鱗を今ここで見せているにすぎないという、自分が思うに人間関係学上もっとも大切なことに気付きつつある。そういう気持ちで日々を生きているから、多分今度の大波は上手にのりきることができるだろう。

どんなに忙しくてもいい、ダンスに対して明るい熱意を持った人に日々出会いたいと願う。ワタシは生徒さんから数々のことを学んできたけれど、ワタシが生徒さんに気付かせることができる質量だってけしてそれにひけをとらないとようやく思えるようになった。ワタシは理由はわからないがともかくこれまで精魂こめて自分を低く低く評価してきた。そこには「謙虚」というそれはそれで美しい実がなった。それを収穫してやっと、NOといえるようになったのである。ワタシはワタシのベーシックとムーブメントを一人でも多くの人に伝えたいと願っている。春を目前にして、もし何かの拍子にこのブログに出会った方は迷わずお越しいただきたいと思っています。ワタシは人生相談のためにダンス教室をやっているわけではないけれど、ダンス教室をやるということは必然的に人生をより深く見守るということと同意になる。だからダンスは実にいいものなのだということを伝えたいと願い、そのために必要な行動をとりながら日々を生きています。UAもきっとそのようにしてこのアルバムを作ったのでしょう。それをずるいというのはずるいな。


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