June 20, 2010

永遠の子供:番外編

あーん悔しいですねえもう・・・!!
今回ワールドカップでもって日本のサッカーは本格的に
変わったのだということを目の当たりにして驚かされてい
ます。攻撃にしても守備にしても全て場合に応じたやり方
があらかじめ打ち合わせてある日本のサッカーをみたの
はこれがはじめてです。応援はもちろんですがそれ以上
に学ばせていただいています。

1シーンをひっぱりにひっぱるという意味でもはやドラゴン
ボールと化している「永遠の子供」シリーズ。といってもひっ
ぱることが目的でのばしているわけではありません。一瞬
一瞬の密度が濃いので自然とこの分量になってしまうので
す。実はこのシリーズ、毎日書き足しているのではありませ
ん。全部一晩で書き上げてしまってそれを小分けに連載し
ているだけです。それくらい強烈な印象が一刻一秒に宿っ
ているわけです。

今日は歴史的な試合があった当日でもあり、少し違った観
点から番外編をお送りしたいと思います。

今回応援してくださった皆様からは正反対のお声をいただ
いています。一つは「人柄が演技にあらわれているようで
とてもよかった」というお声、もう一つが「はじめて(のペア)
としてとてもよくがんばったと思うけれども次はもっとがん
ばってほしい」というお声です。どちらも期待して応援して
くださったからこそのお言葉なのでありがたくかみしめて
おります。

横浜のTさんからは「人柄が演技に、というような発想は日
本人的なんでしょうか」というメールをいただいたのですが、
これは海外の方の中にも共通してみられる認識です。ファン
の多いSO YOU THINK YOU CAN DANCEの中で「その
性格を直さないとトップとして通用しない」というような強烈な
コメントがだされていることからもそれが伺えます。

今回の我々の雰囲気はどこからどう切っても「ほんわか」と
いう以外あてはまる言葉がないように思うのですが、これは
もちろんDAISUKEくんの性格を最大限に生かすべくしての
ことです。人間、うまれついてもっているカードというのはそう
たくさんあるものではなく、なかでもエースに該当するのは
事実上一枚しかありません。我々にはあれがベスト!と今
でも思います。

もう一方の「次はもっと・・・」のお声にも真摯にむきあってい
ます。日にちがすぎればすぎるほどより深く向き合えるもの
です。

よいパフォーマンスをするために一体何が必要かをつきつ
めて考えてみて、今現在できることは二つにしぼられています。
一つは自分がパフォーマンスに真っ向勝負を挑む姿勢を
大切に守って皆さんの理解をいただくことです。もう一つ
は普段のレッスンを高いレベルで維持していくことです。

パフォーマンスの練習は通常レッスンの段階ですでに始まっ
ており、半分以上終わっているというのが今の実感です。
パフォーマンスの練習そのものは普段のレッスンの確認に
すぎず、必要なことは通常レッスンですでにほとんど教えて
います。それに生徒さんが共感共鳴してくれるよう、いかに
わかりやすく明快な言葉で必要な事柄を伝えていけるかだと。

ただ、生徒さんはグループレッスンですと一人ひとりの存在
を自身でもってある意味「薄く」とらえているので、私のいって
いることの切実さというものをなかなかストレートにうけとめて
くれないものです。これはもちろん皆さんが家庭あるいは仕事
という大役を果たしたうえでレッスンにきてくださっているので、
息抜き・リフレッシュのためのサルサという観点からすれば
当然のことなんですけれども。

ともかくも、パフォーマンスをしようというだんになって必ず
いわれることは「それはたしかにいつもいわれてますね」と
いうことです。パフォーマンスは安易にやるべきものでも
やれるものでもありませんが、やはりこの「切実に自分と
むきあう」という部分に一番の意義があるように思う、という
のは前にも書いたとおりです。

昨日ラキアで生徒さんとお話したことなんですが、我々は
「ラテン」と言うと何か「がんばらないこと・がんばるのが
かっこわるいこと」というイメージでとらえがちなところがある
のは否めないと思います。

ゆるさこそラテンの要でしょ、というような。しかしそのラテン
人の魂ともいえる彼らのサッカーをみて、彼らが「がんばる
のはかっこわるい」という生き方をしていると思う人は誰も
いないでしょう。

彼らはあくまで息抜きがうまいのであって、「がんばらない」
というのはその抜いたときの彼らの徹底的な抜きっぷりを
さしているにすぎません。一曲を踊りきれるようになるという
のが我々が最初に抱く目標であるのは当然のことですが、
そこまできてやれやれ一服したらば、かっこよさと自然さに
対してもっともっとがつがつしてもいいじゃないかと思います。
それはあくまでワクワク、エキサイティングであっていいはず
ですし。

今回、長く教室を続けてこられた方々、修羅場をふんでこら
れた方々と場を同じくする貴重な機会をいただいたことによっ
て、これからの覚悟をより深く認識したことでした。

パフォーマンスというのはちょうど氷山の一角のようにいつも
の練習の端くれがちょこっと見えるにすぎない。満足、最高!
と心からいいきれる時がまだずっと遠くにあってなお本番から
逃げるわけにいかない場合、その中に一片、ここだけは我々
きっちり練習してきました、という姿勢を出せるか出せないか。

横浜はこの教室の今現在の立ち位置を鮮明にみせてくれました。

<続く>


salsaconsul at 00:08│Comments(0)TrackBack(0)

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