January 09, 2009
第二のチケット事件・その1
私はいつでも自分はとりたてて変わったことはしていないつ
もりである。必要なことを、必要なときに、必要な手順でやっ
ている。そう、私は、普通。
・・・のつもりだった。
「第二のチケット事件」が発覚するまでは。
「第一のチケット事件」は「事故」、「水道管破裂事件」と「地
下鉄閉じ込められ事件」は「不運」。
しかしこれからお話する「第二のチケット事件」は「アホ」とし
か呼びようがない。
私はサンタから、サルサとあともう一つ「注意深さ」というプレ
ゼントをなんとしても奪い取ってから「こちら」にくるべきだっ
た。平和の象徴と呼ばれる鳩だって人の弁当を奪いにくる
のだから私だってそれくらい・・・。
自由の女神、ウォール街、チェルシー、ソーホー、ヴィレッジ、
ロックフェラーにミュージカル・・・ニューヨーク観光の大道
をなんの滞りもなく極めた友人は、本人いわく「おそろしく簡
単に」JFKから日本へと帰国していった。そうだね、ニューヨ
ークはおそろしく簡単な街なんだろうな・・・私は一ヶ月近く滞
在して一回もそう思ったことないけど。
再び一人になった私はもう一泊、サービス零点のイーストハ
ーレム「モアイホテル」に宿泊することになっていた。次の宿
泊先はすでに読者の皆さんご存知の「立地最高・同居人最
悪」の「ハードロックホテル・バングラデシュ」である。
ここへ私はまたしても一人で大荷物を運んでいかなくてはな
らない。友人をして「これをまず自宅から成田まで運んだこと
自体信じられない」といわしめたスーツケース。これを少しで
も軽くしようと私は孤独な作業にとりかかった。
何しろ真冬のニューヨーク。一ヶ月滞在するとなれば大量の
防寒着を用意しなくてはならず、さらにパソコン、ダンスシュ
ーズ、医薬品、各種書類、そして皆はまさかと思うかもしれな
いが金庫に南京錠。私が宿泊するところはたとえ借りた部
屋といえども一ヶ月分の滞在費を安心して残しておけるよう
な場所ではなかったのだ。
私はこの「信じられないスーツケース」を少しでも軽くするた
めに、
帰国した友人のフライトスケジュールのかわりに
自分のフライトスケジュール=チケット予約票を
処分したのだった。
それに気づいたのは帰国二日前の夜、ホテルバングラデ
シュにて。「今荷造りをすませておけば、明日の最後の三
つのレッスン掛け持ちも集中して受けられるな」と思ったの
が発端だった。
「えっと、何時の便だっけ・・・」とフライトを確認しようとしたら
・・・
Q:ああ、あのときの気持ちをどう言おう。
日程表、便名、チケット予約番号をプリントアウトした、ある
意味「命とパスポートとお金についで大事なもの」を、私はモ
アイホテルで破り捨ててその他もろもろの「もういらないもの」
とともに通りのガーベッジ缶に放り込んだのだ。少しでも、
ほんの少しでもスーツケースを軽くするために。
A:「ああ、これでまた読者を喜ばすことができるな」という
「素直な喜び」
・・・なわけないだろ!!!!!
今度こそ絶望のどん底だ。現実の厳しさと自分のアホさの両
に「ノックド・アウト」されたのだ。
それからの数分間、部屋の中をいったりきたりしたか、ベッ
ドにつっぷしていたのか、覚えていない。文字通りの、失神。
やがて意識が戻ってきた。
「落ち着け」、と私は自分に言い聞かせた。これまでどんな困
難ものりきってきた。今度も何とかなる。何とかする。
三度腹式呼吸をした。
まず、チケットはパソコンからオンラインで予約したものだか
ら、そのときのメールのやりとりの記録が残っているはずだ。
私は震える指でオンライン旅行会社から何ヶ月も前にうけ
とったメールをクリックした。そこには「あなたの予約情報は
こちらのページで確認できます」とインターネットのページに
接続できるようになっていた。大丈夫。ここはもはやミッドタ
ウン。明日キンコーズかどこかでこれをプリントアウトすれば、
そうでなくともせめて予約番号でもわかれば・・・と自分にい
いきかせてネット接続にかかる。このときほど無線LANの反
応の遅さと日本とアメリカの距離を感じたことはない。飛行
機に12時間乗るよりも、この数分が耐えがたく永遠に思わ
れた。
そしてようやくつながった私専用ページで見たものは
「現在予約されているご旅行はありません」
記録は出発後に取り消されていたのだった。
私は二度失神した。
もりである。必要なことを、必要なときに、必要な手順でやっ
ている。そう、私は、普通。
・・・のつもりだった。
「第二のチケット事件」が発覚するまでは。
「第一のチケット事件」は「事故」、「水道管破裂事件」と「地
下鉄閉じ込められ事件」は「不運」。
しかしこれからお話する「第二のチケット事件」は「アホ」とし
か呼びようがない。
私はサンタから、サルサとあともう一つ「注意深さ」というプレ
ゼントをなんとしても奪い取ってから「こちら」にくるべきだっ
た。平和の象徴と呼ばれる鳩だって人の弁当を奪いにくる
のだから私だってそれくらい・・・。
自由の女神、ウォール街、チェルシー、ソーホー、ヴィレッジ、
ロックフェラーにミュージカル・・・ニューヨーク観光の大道
をなんの滞りもなく極めた友人は、本人いわく「おそろしく簡
単に」JFKから日本へと帰国していった。そうだね、ニューヨ
ークはおそろしく簡単な街なんだろうな・・・私は一ヶ月近く滞
在して一回もそう思ったことないけど。
再び一人になった私はもう一泊、サービス零点のイーストハ
ーレム「モアイホテル」に宿泊することになっていた。次の宿
泊先はすでに読者の皆さんご存知の「立地最高・同居人最
悪」の「ハードロックホテル・バングラデシュ」である。
ここへ私はまたしても一人で大荷物を運んでいかなくてはな
らない。友人をして「これをまず自宅から成田まで運んだこと
自体信じられない」といわしめたスーツケース。これを少しで
も軽くしようと私は孤独な作業にとりかかった。
何しろ真冬のニューヨーク。一ヶ月滞在するとなれば大量の
防寒着を用意しなくてはならず、さらにパソコン、ダンスシュ
ーズ、医薬品、各種書類、そして皆はまさかと思うかもしれな
いが金庫に南京錠。私が宿泊するところはたとえ借りた部
屋といえども一ヶ月分の滞在費を安心して残しておけるよう
な場所ではなかったのだ。
私はこの「信じられないスーツケース」を少しでも軽くするた
めに、
帰国した友人のフライトスケジュールのかわりに
自分のフライトスケジュール=チケット予約票を
処分したのだった。
それに気づいたのは帰国二日前の夜、ホテルバングラデ
シュにて。「今荷造りをすませておけば、明日の最後の三
つのレッスン掛け持ちも集中して受けられるな」と思ったの
が発端だった。
「えっと、何時の便だっけ・・・」とフライトを確認しようとしたら
・・・
Q:ああ、あのときの気持ちをどう言おう。
日程表、便名、チケット予約番号をプリントアウトした、ある
意味「命とパスポートとお金についで大事なもの」を、私はモ
アイホテルで破り捨ててその他もろもろの「もういらないもの」
とともに通りのガーベッジ缶に放り込んだのだ。少しでも、
ほんの少しでもスーツケースを軽くするために。
A:「ああ、これでまた読者を喜ばすことができるな」という
「素直な喜び」
・・・なわけないだろ!!!!!
今度こそ絶望のどん底だ。現実の厳しさと自分のアホさの両
に「ノックド・アウト」されたのだ。
それからの数分間、部屋の中をいったりきたりしたか、ベッ
ドにつっぷしていたのか、覚えていない。文字通りの、失神。
やがて意識が戻ってきた。
「落ち着け」、と私は自分に言い聞かせた。これまでどんな困
難ものりきってきた。今度も何とかなる。何とかする。
三度腹式呼吸をした。
まず、チケットはパソコンからオンラインで予約したものだか
ら、そのときのメールのやりとりの記録が残っているはずだ。
私は震える指でオンライン旅行会社から何ヶ月も前にうけ
とったメールをクリックした。そこには「あなたの予約情報は
こちらのページで確認できます」とインターネットのページに
接続できるようになっていた。大丈夫。ここはもはやミッドタ
ウン。明日キンコーズかどこかでこれをプリントアウトすれば、
そうでなくともせめて予約番号でもわかれば・・・と自分にい
いきかせてネット接続にかかる。このときほど無線LANの反
応の遅さと日本とアメリカの距離を感じたことはない。飛行
機に12時間乗るよりも、この数分が耐えがたく永遠に思わ
れた。
そしてようやくつながった私専用ページで見たものは
「現在予約されているご旅行はありません」
記録は出発後に取り消されていたのだった。
私は二度失神した。
salsaconsul at 16:18│TrackBack(0)│□2008-9年冬NYの旅/前編