January 09, 2009
ミュージカル『IN THE HEIGHTS』
『IN THE HEIGHTS』は1980年生まれの若きプエルトリコ系
アメリカ人=「ニューヨリカン」であるLIN-MANUEL MIRANDA
が祖母に捧げた作品である。
彼はこれまでにもこの記事で写真つきでとりあげたマンハッ
タン島最北部の(極貧地帯)インウッド育ちで、大学生時代に
すでにこの作品のコンセプトをあたためはじめたという。
ワシントンハイツに暮らすラテン系老若男女の悲喜こもごもを
面白おかしく描いたコメディーで、作詞作曲兼主役のLINによる
と「それぞれの人々が自分の居場所を見つけるお話」だという
ことだ。そのトークはこちらで(スピーカーマークをクリックすると
歌声と彼のトークがきこえます)。
壮大なクラシック音楽とジャズ&タップダンスをベースに創作され
ることの多いブロードウェイミュージカルにおいて、オーケストラに
ラテンパーカッションを加え、ストーリーテリングをラップで、ダンス
シーンにサルサをとりこんだ『IN THE HEIGHTS』はまさに革命だっ
たといえるだろう。アングロサクソンとジューイッシュががっちりと
経済(ブロードウェイだって当然そこに含まれる)を支えるアメーリ
カに対し、ラテン人が音楽とダンスでもって最初の爪をくいこませた、
その記念碑的作品なのである。
ラテン文化をベースにしているといっても、ブロードウェイ十八番の
「のど自慢による涙もののうたいあげシーン」は要所要所しっかり
ととりいれている。それなしでは人種民族をこえてこの作品が受け
入れられることはなかっただろう。
混合こそが壁を打ち破るのだ。
身分違いの恋は洋の東西をこえて映画やミュージカルの定番。
『IN THE HEIGHTS』でも村一番の成績優秀なスペイン系ラテン
人の女の子(おそらく製作者のLIN自身がそのような少年であっ
たと思われる)と黒人青年のかなわぬ恋がおりこまれている。
女の子の父親が青年にむかって「お前はうちの娘にふさわしい
男ではない!」と指をつきつけた場面では客席から「OH!!」と
いうため息があがった(こんなにありふれた台詞が、日本とアメ
リカとではもつ意味と重みがまったく違うのである)。「貧富の差」
ならぬ「貧貧の差」、差別の中の差別がおこす悲劇に対して、誰
もが心を痛め、それでも結局人は同種でしか集うことはできない
という厳しい現実を、観客の全員が肌身で感じているのである。
このチケット入手にいたるまでのすったもんだについては以前「
本気でおこる話」のところで書いた。もし私が中心街にちゃんとし
たホテルをとっていて、かつ「風邪ひいても脚折っても一ヶ月でN
Yスタイルをものにする」と心に決めていなければ、ミュージカル
のチケット入手など造作もないことだ。NY観光客が誰もが楽しく
愉快にやっているミュージカル鑑賞一つがこんなめんどうなこと
になったのは、チケットの購入場所などないブラックハーレム暮
らしで、予約を証明するプリントアウトの方法がなく、かつ後でわ
かったところではこの地域の郵便担当者が極めてLAZYであり、
かつチケットを買いにブロードウェイに出かけるよりもサルサの
練習がしたかった・・・こういう事柄が折り重なって、要はお金と
時間さえあればなんでもないことが私に両方なかったせいで、と
んでもなく面倒なことになってしまったのだ。
チケット手配のために私がパソコンの前で費やした膨大な時間
と、「一体全体当日本当に入場できるのか」という心配による精
神的・時間的浪費は言葉につくせない。何しろ12月15日に注
文して、最終的に翌年の1月2日まで本当に入場できるのかの
保障がなかったのだから。それもこれもプリンター一つあればど
うってことないことなのに・・・。
公演当日。リチャード・ロジャース劇場の予約者専用窓口で
"What's your last name?"と問われ、担当者がチケットの入った
封筒をぱたぱたとめくっているときの私の心臓の爆音、
"Here you are"をそのまま表したようなお兄さんの笑顔・・・
自分の名前入りの封筒を受け取る手が震えるほどだった。
トニー賞受賞の誇らしさに
光り輝く電飾の下、開場を
待つ人々の行列。
その列を取り囲む「チケット譲ってください」という札を掲げた
何人もの人々の切実な目が、長期間に渡る苦労をわずかな
がら癒してくれたのだった。
アメリカ人=「ニューヨリカン」であるLIN-MANUEL MIRANDA
が祖母に捧げた作品である。
彼はこれまでにもこの記事で写真つきでとりあげたマンハッ
タン島最北部の(極貧地帯)インウッド育ちで、大学生時代に
すでにこの作品のコンセプトをあたためはじめたという。
ワシントンハイツに暮らすラテン系老若男女の悲喜こもごもを
面白おかしく描いたコメディーで、作詞作曲兼主役のLINによる
と「それぞれの人々が自分の居場所を見つけるお話」だという
ことだ。そのトークはこちらで(スピーカーマークをクリックすると
歌声と彼のトークがきこえます)。
壮大なクラシック音楽とジャズ&タップダンスをベースに創作され
ることの多いブロードウェイミュージカルにおいて、オーケストラに
ラテンパーカッションを加え、ストーリーテリングをラップで、ダンス
シーンにサルサをとりこんだ『IN THE HEIGHTS』はまさに革命だっ
たといえるだろう。アングロサクソンとジューイッシュががっちりと
経済(ブロードウェイだって当然そこに含まれる)を支えるアメーリ
カに対し、ラテン人が音楽とダンスでもって最初の爪をくいこませた、
その記念碑的作品なのである。
ラテン文化をベースにしているといっても、ブロードウェイ十八番の
「のど自慢による涙もののうたいあげシーン」は要所要所しっかり
ととりいれている。それなしでは人種民族をこえてこの作品が受け
入れられることはなかっただろう。
混合こそが壁を打ち破るのだ。
身分違いの恋は洋の東西をこえて映画やミュージカルの定番。
『IN THE HEIGHTS』でも村一番の成績優秀なスペイン系ラテン
人の女の子(おそらく製作者のLIN自身がそのような少年であっ
たと思われる)と黒人青年のかなわぬ恋がおりこまれている。
女の子の父親が青年にむかって「お前はうちの娘にふさわしい
男ではない!」と指をつきつけた場面では客席から「OH!!」と
いうため息があがった(こんなにありふれた台詞が、日本とアメ
リカとではもつ意味と重みがまったく違うのである)。「貧富の差」
ならぬ「貧貧の差」、差別の中の差別がおこす悲劇に対して、誰
もが心を痛め、それでも結局人は同種でしか集うことはできない
という厳しい現実を、観客の全員が肌身で感じているのである。
このチケット入手にいたるまでのすったもんだについては以前「
本気でおこる話」のところで書いた。もし私が中心街にちゃんとし
たホテルをとっていて、かつ「風邪ひいても脚折っても一ヶ月でN
Yスタイルをものにする」と心に決めていなければ、ミュージカル
のチケット入手など造作もないことだ。NY観光客が誰もが楽しく
愉快にやっているミュージカル鑑賞一つがこんなめんどうなこと
になったのは、チケットの購入場所などないブラックハーレム暮
らしで、予約を証明するプリントアウトの方法がなく、かつ後でわ
かったところではこの地域の郵便担当者が極めてLAZYであり、
かつチケットを買いにブロードウェイに出かけるよりもサルサの
練習がしたかった・・・こういう事柄が折り重なって、要はお金と
時間さえあればなんでもないことが私に両方なかったせいで、と
んでもなく面倒なことになってしまったのだ。
チケット手配のために私がパソコンの前で費やした膨大な時間
と、「一体全体当日本当に入場できるのか」という心配による精
神的・時間的浪費は言葉につくせない。何しろ12月15日に注
文して、最終的に翌年の1月2日まで本当に入場できるのかの
保障がなかったのだから。それもこれもプリンター一つあればど
うってことないことなのに・・・。
公演当日。リチャード・ロジャース劇場の予約者専用窓口で
"What's your last name?"と問われ、担当者がチケットの入った
封筒をぱたぱたとめくっているときの私の心臓の爆音、
"Here you are"をそのまま表したようなお兄さんの笑顔・・・
自分の名前入りの封筒を受け取る手が震えるほどだった。
トニー賞受賞の誇らしさに
光り輝く電飾の下、開場を
待つ人々の行列。
その列を取り囲む「チケット譲ってください」という札を掲げた
何人もの人々の切実な目が、長期間に渡る苦労をわずかな
がら癒してくれたのだった。