January 09, 2009

いつ、誰が抜け出すか

イーストハーレムのドア

イーストハーレムの
色使いにはやはり
彼らならではの味わい
がある。
しかし、そこに暮らす
人々の現実はけして
「カラフル」とはいえ
ない。

ラテン系よりもブラックアフリカンの人々が半歩先に貧困から
抜け出しつつあるのは、おそらく彼らの先祖が「初代から」アメリ
カに奴隷として連れてこられたからだろう。『風とともに去りぬ』の
時代から彼らは苦難に苦難を重ねてきたが、少なくとも二代目
からは英語を母国語にすることができた。正式な市民権さえ得ら
れれれば、あとは努力・・・すなわち勉強して学歴をつける・・・さ
えすれば、差別はともかくとして貧困を脱出する手立てはあった。
しかしそれだって気の遠くなるような時間をかけての話である。

それに対してイーストハーレム(マンハッタン島東部)やワシント
ンハイツ・インウッド(マンハッタン島北部)に暮らすラテン人たち
は、祖先がまずスペインなりアフリカなりから中南米へやってくる
か連れてこられるかして、そこで原住民と混合して、そこからあま
りの貧しさに耐えかねていわばボートピープル・あるいはメキシコ
との国境を脱出してアメリカにきた人々。苦難の二乗三乗の歴
史を背負っているのだ。そもそも彼らがアメリカに避難せざるを
えなかったのは、もともとの文化と経済があめーりかにズタズタ
にされたからであるにも関わらず、いざ夢のあめーりかに逃げて
みればそこでは不法入国者。私の知る限り、アメリカで優遇され
たラテン人はキューバからカストロ体制に反対して胸はってアメ
リカに迎えられた医者や弁護士といった富裕層のみである。

それ以外の何万人だか何千万人だかわからないほとんどの脱
出系ラテン人は公的サービスをほとんどうけられなかったろうし、
たとえ彼らの子が市民権を得たとしても親がスペイン語しかしゃ
べれないから、何かと大事な情報・・・主に教育に関する様々な
事柄・・・を聞き逃したり知り損ねたり、あるいはあまりに日々の
生活が苦しすぎて子供の将来云々どころではなかったと思われ
る。

しかも幸か不幸かアフリカンの男には「やり逃げ」の文化が
脈々といきづいている。これはいい悪いの話でなく歴史的にそう
いう家族形態が普通なのだ。だからいまだに女子供を男が守る
という形になかなかならない。しかし母系社会は母集団がしっかり
していてはじめて機能するものであるから、母の母、そのまた母
たちと切り離された女が一人、ニューヨークで男に「これまでどおり」
やり逃げされたら一体どうなるか。

子供に学歴をつけることにしゃかりきになるといわれるユダヤ系
の人々は、だてに数千年地球上を逃げ続けたわけではない。経
済を制するものが国を制することを知りぬいていたのだ。ラテン
系の人々はその点まだ「歴史が浅い」のである。学歴がなけれ
ば得られる仕事は工事関係や飲食店とごく限られてくる。学歴を
つけて一代ずつのしあがっていく方法を知らなければ貧困スパイ
ラルから抜け出すことはできない。それが「何もかもレトロに映る
」今のイーストハーレム及びワシントンハイツ・インウッドの現実
だと思われる。

いつか彼らの中から、賢く、努力家で、アングロサクソンも一目
おくような人物が一人、また一人と誕生して政治と経済の世界に
食い込み、仲間たちをなんとかしていくべく奮闘することになるだ
ろう。今だっているのだろうが、圧倒的に数が足りない。
中南米を祖国とする家系に生まれた者が大統領にのぼりつめる
まで、いったいあと何百年かかるのか。

私は世界史の専門家ではないがサルサの歴史を長年おいかけ
てきた。マンハッタン各地で人々の顔を見つめていると、日本で
はけして見えなかった模様があぶり絵のように浮きあがってくる。


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