October 24, 2007
とっかえたい願望
かえって、今晩はなんとなくプレーンなケーキと紅茶をしてます。
みなさん今日もお疲れ様。
帰り道。表に出されたゴミ袋の前に座り込んだ子猫がこれ以上
切ない声があろうかという声でにゃあにゃあ泣き叫んでいた。
おなかがすいているのに食べ物の匂いがしなくてがっかり
したんであろう。何か実感をともなった痛みを感じて思わず
つれて帰りたくなってしまう。
ああ、でも・・・だめなんだよ、ごめんね。
そういいながら自分はあったかい紅茶など飲んでいる。
この日々が守られたものではないということを忘れないように。
それはいつも言い聞かせてはいるのだけど。
成し遂げるってのは大仕事である。
いや、日々生きるのだって大仕事である。
生まれちゃっただけでもう大仕事だ。
うぎゃああああああああああ
ネコよ、オラはおまえと何も変わらんぞ。
明日は明日の風がふく。
がんばれがんばれねーこ。
ダンスてのがまさにストラグル。
暗中模索た〜まさにこのことだ。
サルサてのは一定の様式美ができあがっているけどそこに
安住したくない。なんか壊したいんである。作りたいんである。
どこにもなかったような何かを。ばたばたばたばたばた
だから今日はパラパラ風のにチャレンジしてみた。
今やってることは全部全部未来につながると思う。
「でなくちゃならない」という観念をどんだけ捨てられるかだ。
サルサをキャバレーダンスにしない。
ありきたりの男らしさとか女らしさとかいらないし。
音楽にストーリーを感じて、それに身を捧げることができたら
演じることはもう少し楽になるんだが。
そういえば自分はいつもなんだかわけのわからないものに
恥ずかしさを感じる人間だった。
私のかつての友人にもそういうのがいて、彼女はお客さんが
くるとカーテンの陰に隠れたそうだ。
自分の存在が恥ずかしかったのだろう。
そういうのも半分くらい遺伝で決まってしまうらしい。
切ない。遺伝子も自分の意志でひょいひょいとりかえがきかない
ものだろうか。
私は外交的になれる遺伝子を買えるものなら全財産とひきかえに
買うような気が・・・しないでもない。
外交的とか社交的とか積極的というのはこれ、天が与えた最大の
幸福といえる。
私はといえば内向的で消極的。自虐じゃなくて事実。うがあ・・・
そういう自分をなんとかしたいからサルサなんて踊るのだ。
クッキーをはみながら本を読んだり手紙を書いたりしていたい
ような、そもそもはそんな人間なのだが
しかしそれでは生まれたような気がしないんである。
実際、思う存分本が読めるような生活を勝ち取るにはそれは
それで大変ストラグリー(んな言葉あるか〜〜〜〜〜)な毎日を
送ることになるんだろうけどね。
ま、いっか。そろそろ寝まする。
今日もありがとう!明日もよろしくう!