May 2012

May 30, 2012

今日もいい天気〜

サザエさんのあの歌詞は今日みたいな日のことをいうのね。だあっと降ったり夜中に揺れたりはするけどやっぱりこの5月はすごくいいね。

今日のレッスンは、女性からリクエストの多いバックトゥバック(背中合わせ)からのスピンと、男性からリクエストの多い360を組み合わせたバリエーションを作ってみました。流れるようにとめどなく技が続いていくイメージです。わーなんだかわかんないけどきれいだなーという仕上がりを目指しています。

バチャータは前回、女性にアウトサイドのターンをかける&すぱっと決めるのがやっぱりけっこうむずかしいぞ、ということになりましたので、今回はアウトサイドのターンにちょっとした補助をつけてみよう、というトライをします。女性の腕を下にひくことによってターンを決めるのは上方からリードするよりも難度の高いことですが、やっぱりかけたいしかけられたいし決まると嬉しいものなので、うん、やってみましょう。

サルサでもバチャータでも、腕を下にぽんとひいて女性をまわす(女性がまわる)のは練習がいりますね。最初は女性の腰がへなへな〜と下に下がってきて大笑いになります。わかってしまっても、ちょっとでもタイミングがずれるとまわりそこねてお見合いになったりして、あれはほんとにリード&フォローだなあとつくづく思う。とくに自分が失敗したとき。ははは・・・は。

そんなわけで。今日も楽しみにしてまっす!



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May 28, 2012

マイケルの理由

こんばんは。今日の新宿も楽しかったです。このごろ生徒の皆さんに会うのが面白くて毎回出勤するのが楽しみです。今年はいい年ですね。特にこの5月の気候のよさはどうしたことなんでしょうか。昨年は大変なことがたくさんあった年だったからそのぶん優しくされているのかなあと勘違いしてしまいそうです。非科学的もいいとこなんだけれど。

さて、ここのところは本当に全部が練習の日々です。通常レッスンをやってカラクってKzさんと練習して6/30海の家のパフォーマンス練習もやっていますので、結果的にサルサしかない毎日を送っています。ここまでの状況はふりかえってみてもあまりなかっただろうかな。レッスンが週五回とか六回というのはありましたが、パフォーマンスというなんというか「考える」「作る」に加えて「記録に残す」「積み上げていく」の繰り返しが生活の大部分を締めている現在の状況は確かにこれがはじめてだろうと思います。昨日かおとついかな、そのことをものすごく類稀な時期だと実感していました。こういう生活は人生の中でごくごくわずかな時期にしかできないことで、それが許されるこの一週間、この一ヶ月を宝物をいつくしむように毎日大事にすごそう、肉体的にしんどいということはこの場合本当に小さなことで、健康で、周囲の理解が得られて、そして発表と皆さんとの出会いの場が与えられているということ、この幸運を自覚してただただ打ち込もう、というふうに感じています。

横浜サルサコンテストは今回が三回目の出演になりますが、ワタシにとってイベントというもの、パフォーマンスというものに関する考え方を根本から変えてくれた非常に意味のある年中行事です。というのも主催のセサールさんがはじめてこのイベントにワタシを呼んでくださったときに「レベルよりも大事なのはサルサがはじめての方でも楽しめて思い出ができるかどうかだ」とおっしゃったからです。これはどちらかいうと完璧主義に近かったかつての自分のものの考え方をひっくり返すほどの強烈なインパクトをもっていました。この言葉を実践することは、「レベルの高いものでないとステージにはあげないよ」という方針よりもとてつもなく難しいことであるということがその段階でわかっていたような気がしましたが、当時、つまり三年前よりも今のほうが、その重みははるかに深く感じられるのですね。もちろん、そこに集まる誰もがそれぞれの最高の作品をもって集まろうとします。しかしそこにおもいきったギャグであるとか、激しい失敗であるとか、おいおいって作品が出てきたとしても、それは横浜では「アリ」なんですね。全て「人間の多様性」として許されるということがわかっています。だから、完成度の高いものも、大きく外した場合でも、どっちも同じだけのウェイトをもって評価されるのです。「それぞれに事情があるのだ」ということが横浜サルサコンテストのおそらく核としてあるのです。今年はどんなサプライズや笑いや感動が待っているのでしょうか。本当に楽しみです。

話は変わりますが、やっぱり読書が一番の息抜きです。サルサで創作脳を酷使するので、違う角度から知恵や気付きを与えてもらえるのがすごく救いになります。これまでは女優・俳優の自伝をずっと読んできて、彼らがいかにして夢と現実の折り合いをつけているのかをよく注意して読ませてもらい、それに失敗して命を縮めた人と、どこかでその限界に気付いて現実の世界に根ざす生き方にシフトした人との違いはどこにあったのかをみてきました。それぞれに壮絶ですが、やはりサバイバルした人がいかにして苦しい時期をのりきったかを知ることは深い感動と共感をよびおこすものです。いうまでもなくダンスも、夢と現実の折り合いをつけることに失敗すれば人生を滅ぼすほどの破壊力をひめた「取り扱い注意」の劇薬です。しかし適切に扱えばバランスのとれた身体、友人の輪、音楽と民族の多様性に関する理解、それに語学の勉強にもなり、そしておそらく、会社どっぷりの単一的生き方から、多面的に自分の人生をとらえる客観性を身に着けることもできる素晴らしい学校でもあるのです。だから、サルサを幸福の道具として大切に適切に取り扱っていきたいし、そうでなければ自分の仕事をしたとはいえないと思ったりもするのですね。

さて、ダンスを踊る人なら誰でもマイケル・ジャクソンを愛さずにはいられないでしょう。全てのダンサーの原点であり憧れであり、唯一無二の存在。その彼について長年語られてきた疑問・・・「どうしてスリラーのときのあの彼の顔ではいけなかったの?」という痛切な想いがみんなにあります。あんなに美しくてスラリとしていて、そこにどんな手術や移植が必要だったのかだれにもわからなかった。ワタシもその一人でした。でも昨晩、その答えがとうとうわかりました。これはアルモブッレ・スマナサーラさんという初期仏教の長老が書いている『怒らないこと』というベストセラーがありまして、そのシリーズの第二巻『怒らないこと・2』にマイケルのことが触れられていたことがきっかけでした。そこではマイケルのブダペストでのツアーの模様を見て、あまりの完璧さに思わず最後まで見てしまった、ということが書かれており、あの3時間の準備のために3年の準備を要し、でもそれを見たお客さんはけしてその繰り返しでは満足しないこと、さらに「もっともっと」と刺激を要求すること、それにこたえなくてはいけない人生とはどのようなものであるかということが淡々と分析されています。周囲の要求に完璧にこたえる生きかたは結果として自分で自分を殺すことになるのだ、なぜなら彼はアイドルであり人に怒りをぶつけることができない立場だから、怒りは自分の内部にむかうしかない。それが自分の命を焼いてしまうのだということになるというのです。

ワタシはこれを読んで、早速マイケルのブダペストのコンサートの映像を見てみました。完璧を求めるマイケルの姿を確認するために。

そしてそこで見た

一曲を終えてスポットライトの灯りがだんだん暗くなっていったとき、一番最後まで暗闇に浮かび上がっているのはマイケルの透き通るように真っ白な顔であった、という衝撃。

マイケルのステージでは、最後の最後の残像はマイケルの顔でなくてはならなかったのでした。お客さんの目に最後に残る残像はバックダンサーの白人の誰かの顔であってはけしてならないのです。なぜならここはマイケルのコンサートだからです。したがってマイケルは、光をもっとも最後まで捉え続けることのできる骨格と皮膚を手に入れる必要があったというわけだったのです。

マイケルは現実ではなく、ステージに焦点をあわせて自分の肉体を改造していたのでした。だから日中彼の顔が白すぎても、顔立ちがもとの彼とあまりにも違いすぎても、それは問題ではないのです。彼はただ、ステージのためだけに全てをなげうっていたのでした。

それがわかった瞬間、ああマイケルはそういうことだったんだ、そういうことならわかるよ、あんなに真っ白くならなくちゃいけない理由がわかるよ、と本当に彼に伝えられたらどんなにいいだろうと思わずにはいられませんでした。

(※その後、マイケルは尋常性白斑という皮膚病にかかっていたというご指摘をいただきました。事実をよく見なくてはいけないですね。反省しないと。

こんなにもたくさんの名曲とビデオクリップを残して彼は死んでしまいました。完璧を求めすぎることがどのような結果を招くかを、アルモブッレ・スマナサーラ長老は深く理解し、生きかたをよく考えるように説いています。そのうえで自分の仕事は誰にも文句がいえないくらい全力でやれ、とも。このような智慧がこの世にはすでに存在しているのですから、やはり少しずつでも真摯に学び、この人生を全力で生きてみようと思います。



May 23, 2012

うーむいい天気すぎる〜

一年分のいい日が今日一日に凝縮されちゃったような輝かしい空と緑。去年は初夏を楽しめなかった分、今年はこういう「いい天気」がやけに身にしみます。大騒ぎだった日曜日の気分がまだ冷めやらないうちにあっというまに、あっというまに水曜日。今日のクラブレオンには「片手のタッチでインサイドとアウトサイドを感じ分けるバチャータ」と「ジェットコースターサルサルーティーンwith360」をもっていきます。この楽しい気分、この夏中赤い風船のようにぷかぷか浮かべていたいなあ。



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May 21, 2012

結婚しました!ご来場の皆さまありがとう!

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うわあもうどうしよう、こんなに面白いとは思わなかった!!!
みんなどんだけ準備してくれてたんですか・・・参ったなあ・・・ああもう、時間の経つのが早すぎ!!いつまでも一緒にいたかったです!!

素晴らしい晴天に恵まれてご来場の皆さまのお顔も個性的なファッ ションもきらきら輝いていました。めちゃめちゃファンタスティックで楽しい映画の中にいるみたいでした。!

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KOZ。このファッションセンス・・・!!

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KURARA&AKI。姉妹のような親友同士。


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美しくなった〜と評判だったAYAMI。

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強烈なバドガールスマイルはANN&ELLIE


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あ〜ビバ〜ノンノン♪こんなに嬉しそうにリハーサルするなんて・・・
「あんたたちも好きね〜
                            photos by MIDORI

ご紹介したい写真があんまりいっぱいすぎて載せきれません。キラキラの写真がおそらく数百枚、そして映像は三本プラスα廻されていたそうです。もう信じられない。

やっちまったよ

って感じです。どうしよう、ただただもう楽しかった!最高です!!

みんなが世界中から来てくれたこと、時間を割いてくれたこと、声をかけてくれたこと、写真と映像をたくさん撮ってくれたこと、いただいたお祝いにお花に・・・それにお話のひとつひとつにいたる何から何までうますぎです。もう大興奮です。結婚てこういうことなんでしょうか。それともワタシは大いなる出し物にだまされているのでしょうか。ここの教室生の演技力をもってすればそれもありうる話です。ここまでやって今度のレッスンで「大成功」っていう計画の場合にはもうちょっと引っ張ってからにしてもらえるかな・・・?

とにかく!素晴らしいパフォーマンスと信じがたいチームワークをみせていただきました。幹事長ならびに様々な役を果たしてくださった皆様に心から御礼申し上げます。休日返上だったことと思います。本当にありがとうというかごめんなさいというか、このまま一生ワタシをだましきってくださいますでしょうか。ここから日常生活にどうやって戻ったらいいのかわからないのですけど、しっかりかみ締めて味わって・・・ああしかし、横浜赤レンガがもうすぐそこまで迫っています。ワタシはここでKARAKURIとともに最高のパフォーマンスを発揮したいのね。ああでもせめてもう一晩は今の気持ちを味わっていていいよね。

今この瞬間のことをシアワセと呼ぶのだとわかるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。



May 18, 2012

Take it easy

ワタシのコンピューターの待ちうけ画面は黄色地に黒文字で「easy Rider」としてあって、15分くらいかな、パソコンに触れなければイージー・ライダーの文字が画面の右から左へと走っていくようになっている。かつて大いにヒットしたというこの映画のサントラをジャケットのデザインとともに気に入って以来の設定です。このパソコンは随分古いものなので立ち上げるのに時間がかかるから、書きたいときにすぐ書けるようにほぼ点灯したままにしてある。というわけで我が家には右から左に頻繁にイージー・ライダーが走る。ワタシはこのeasyという言葉が最近とみに好きになってきました。

さて、30歳の誕生日の過ごし方はその人の人生を象徴している、という考え方(脳について書かれた緑の表紙の本の中にある)はかなり的を射たものであると思うんだけれど、それ以降にも何かその人ごとの「象徴的」といえる日とか時期というものはあるようで、今現在の自分の状況はどうにもこうにもいやでもおうでも自分らしい。けっこう最近まで、ワタシは結婚という儀式に関してはその前後一週間を十分に準備と余韻と御礼にあてたい、と思っていたはずだった。言うまでもなく大切なことだし、大切にすごそうと思えばいつまでもどこまでも大切な事柄が山積みである。しかし実際はどうかというと、「ほぼ毎日」ダンスの練習かレッスンかイベントをやっている。もう自分の力の及ばない何かのせいなのだろう。今日の午後、とうとう顔面がまったく動かなくなり呂律がまわらなくなった。夫には「○○を・・・レロレロ・・・お願いしていいレスか」といった感じ。式に際して互いにお願いごとが次々にあるときにこういう状況(笑顔は日常生活においても最高のパフォーマンスだから)はまったく笑えないことなのだけど、「こういうの」を日々乗り越えることの総称を「結婚」と呼ぶのだよね。多分、きっと。

それにしてもたくさんの生徒さんが助けてくださっています。そのおかげで、もうすぐ開かれる披露宴はすでによいものになるとわかっております。役をひきうけてくださっている生徒さん、なんとかしてどうにかして都合をつけて出席くださる皆さん、本当にどうもありがとう。ありがとうが有り難いからきているという言葉通りの気持ちでおります。当日、皆さん同士が再会したり新たに出会ったりして輝かしい時間をすごしてくださるよう祈ります。

最後に。今度の横浜サルサコンテストで披露するKz&RIOの新作が今日、一通り完成しました。前回の振り付けに比べてより力が抜けて、お客様の顔を見ながら踊れる予感がします。ああ、いいものを持っていきたいなあ、ワオ、という「あの」感じを・・・!こればかりはいつどこで降りてくるかわからないのだけれど、みんなその瞬間のためにダンスをやっているのだよね。できることといえば練習だけです。6/2、絶対見にきてくださいね!ライバルはもちろん、KARAKURIです。




May 16, 2012

ギャップとタフネスについて

最近役者の自伝・評伝を読むことが多くなったことは以前書いたとおりで、その理由は彼・彼女たちが演者であること・ヒーローとかスターであることと現実・・・つまり請求書や洗濯物や誤解やいらだちといった日々の雑事であるがそれなくして人生はありえない類のもの・・・との折り合いをどのようにつけているのかをぜひとも知りたいと思ったからだ。

サルサのインストラクターであることは他人になりきるほど大げさな演者である必要はないけれど、自分をある一定のイメージで人前に差し出す必要性が高いという意味ではおおいに気苦労の多い役目であることは間違いない。 ある時点で気付いたこととして、サルサはペアダンスであるがゆえに「男性に夢を、女性に希望を」・・・つまり「男女別に好感度が試される」ことがインストラクターである以上逃れられない、というものがあった。この気付きはワタシにとって非常に、そう、「非常に」重いものではあったけれど、言動に少々の繊細さが生じたという意味でよい気付きでもあった。

ワタシは生来の性格としても家庭の方針としても、いわゆる「『あの』女性らしさというもの」を必要としなかった。人と人とがうまくやっていくためには、ときに三歩出ることが必要であり、ときに足並みをそろえることが必要であり、場合によっては三歩くらい下がったほうがいいこともあるという、ただそれだけのことだと思うのだ。サルサでも一歩下がったり一歩出たりする、それと同じで。

ところでサルサ界で驚くほど「三歩下がって」を実践しているのがプエルトリコの最強ペアの一つ、ティト&タマラのタマラさんで、彼女はレッスン中ほとんどまったく声を発することなくティトさんのサポートに徹する。受講者は尊敬するタマラさんの声をきくために、レッスン後になんとかして彼女に質問をしようと詰め掛けるのだ。この人ほど寡黙で、いざステージにあがると一転して雄弁に踊る人も珍しいだろう。

さて、役者たちは「ヒーロー・スター・アイドル」と「日常」のギャップがあまりにも激しいために、その折り合いのうまくつけられる人は長く活躍し、つけられない人は短命に(役者としても生命という点でも)終わる傾向が強いことがわかるようになってきた。多くの役者が他人になりきることから生じる現実とのギャップ、不規則な生活、派手なパーティーや過度の緊張といった事柄と折り合いをつけるために、合法・非合法含めてなんらかの薬の手助けを必要としている。そこにアルコールが加わったときに悲劇が生じるように見える。アルコールが日常的に簡単に手に入るものでかつ食生活にごく自然に組み込まれているために、薬と併用しているときの合併作用を本人は気付きにくい。そこが非常に脆く危険な点なのだと思われる。

マイケル・J・フォックスは著書『ラッキー・マン』の中で「次の仕事がくるかどうか」の不安感・恐怖感がどのようなものであるかを詳細に描写している。人気の火付け役になったテレビシリーズ「ファミリー・タイズ」と三作が作られた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を同時に抱えていたことは一種の保険(まだ仕事はある、という)としての作用があり、一つの仕事を終えるときに次の契約がすんでいるかどうかが心の安定を大きく作用したことを極めて具体的かつユーモラスに描写している。これまでのところ、役者独特の将来に対する不安感をこれほど克明に再現することに成功している本にワタシはまだ出会っていない。パーキンソン病が発祥してから症状そのものとの闘いに加えて、より困難な精神的な闘い(仕事がとれなくなるという恐怖、家族に見捨てられるのではないかという孤独感)を克服したあとで、ずっと昔の、現状とは全く異なる過去の心理をこうも鮮明に描くことができるものだろうか。この人はアルコール依存とパーキンソン病の二つを並外れた努力の末に克服した人でありながら、その道程を振り返る彼の視点はユーモアと感謝に満ちている。いわゆるキーマンにあたる人々に出会いその助けをかりたこともまた、この人の強さであった。



May 14, 2012

カラクリお見事!

KARAKURI2012フルメンバーデビューはメンバーの出番ぎりぎりまでの奮闘が本番で見事に開花しきれいにまとまったようです。第一関門を突破してかぶとの緒を締めよといったところでしょうか。まったく受験生とパフォーマンスは当日まで伸びるとはこのことと、まるで生徒を入試に送り出す親の気持ちです。お弁当に海苔で「ガンバッテ」と書く、というようなお受験対策までやりかねない親バカぶり。昨夜は打ち上げに合流して飽きず映像を繰り返しみせてもらっていました。リハーサルの映像と交互にみると、最後の数時間にメンバーができることを全てやったということが非常によく伝わってきて、ついつい涙腺のゆるんでしまうことでした。さあ、6/2に向けてこのチームをさらなるステージに引き上げなくてはいけません。フォーメーションの変更が見せ場である点は昨年と同じですが、今年のような甘い曲の場合、どのような形でクライマックスで「がっ」という感じが出せるか知恵のいるところです。この日は神田明神での白無垢・角隠しから下北沢でのどんちゃん騒ぎへ一転、果ては一本乗り過ごした次の電車が人身事故(幸い無事。縁起の大事なこの日にはそうこなくっちゃあ!!)でぴたりと止まってさあ大変、着物一式背負って帰りのタクシーを拾うまで狂騒の珍道中。ゴールに向けてまだまだ変化に富んだコースが続きます。

さて前回水曜日のレッスンには力とモチベーションともに高い新メンバーさんが参加くださったうえに女性のご参加が多かったこともあって、クラブレッスンとして理想的な雰囲気と難度が実現できました。そして今日。まったくの新人さんのご到着がご事情により予定より大幅に遅れている間に、これまた完全な新人ペアがおこしくださり、さらに数ヶ月ぶりの方、さらに数年ぶりの方、残り40分というところで待ちに待ったご予約の新人ペア登場というジェットコースタードラマみたいな二時間でした。インストラクターは何があっても動じない愛想のよさが身上ですが今日ほど想像のつかない展開ははじめて。あまりに先が読めないので、日曜定番のメンバーさんにも新人さんにも「今日はこうこうこういうことになる予定だったのが、ああなってこうなって最後はどうなるんでしょう?」と笑いながら現状をお話せずにはいられませんでした。インストラクターがレッスン中にみせるエピソードやホンネがご来場の方にとって和みの瞬間になることもありますでしょ。それがたゆたう時間の流れにとけこんだとき、スタジオには一体感と充実感が溢れるのです。今日はまったくもって、インストラクターらしさを見せる日というよりも「インストラクターといえども場と流れに翻弄されることがある」ことを正直にさらしたほうが得策でした。何しろスタジオのドアがあく「たび」に全然予想しなかった生徒さんが入ってくるのですから(これはスタジオレッスンではやや珍しいこと、というのは皆さんご存知でありましょう)、バラエティー番組でびっくりゲストが次々登場して会場の人々がええええええきゃあああああとどよめく、というまさにあの感じだったのでした。数年ぶりの生徒さんが登場したときがとどめで、私は耐え切れずその場に転がりました。これは完全に神様に遊ばれているな、と。その実、ご参加の方全員が非常にフラットで、レッスン中やその後にもあれこれ会話の飛び交う様子には大きな安堵を感じていました。

そんなわけでいい季節になったものです。5月、本当に私たちが活性化するのはこの月なのでありましょう。昨日、このブログを190名を越える方が訪ねてきてくれました。一日の訪問者としては史上最高に近い人数です。KARAKURI本番を前に最新情報を求めて、あるいはその後パフォーマンスを見て興味を抱いて、多くの方が覗きに訪れてくださったのでしょう。ありがたいことです。ようこそRIOブログへ!新しい読者さんへ、このブログはレッスン情報のほかに、インストラクターのRIOの視点から今時点で感じるサルサのこと、教室のこと、そしてここがおそらく一番読まれている点なんですがサルサとまったく関係ないことも遠慮会釈なくざくざく書いています。まずはトップページから、ご挨拶のページ、それからサルサの歴史のページ、サルサの踊り方とスタイルのページ。この三つがこのホームページ&ブログの核にあたりますので、このページの上にあるオウチのマークをクリックいただいてここからおさえていただければ誠に幸いです。次におすすめしたいのはブログ内の「サルサ修行の旅」の記録です。特に冬のニューヨークの旅。悲喜劇ぎっしりのミルフィーユで皆さまを飽きさせないこと請合います。

今現在、ワタシがサルサダンスに関して立っている地盤が出来上がるまでの全ての記録がこのブログの中にあります。テクニックと並んで心のあり方のバランスをとることがサルサの上達に必須であったことは間違いありません。クラブでワタシが踊っているのを見て、「このスタイルなら習ってもいい」と思って来てくださった方がいることを今日教えていただきました。ありがとうございます。ワタシのスタイルは質素ですが、ここぞというところで必要十分にかっこいいようにしてあります。シンプルだが何もしないシンプルというのでなく、本人の体だけがあることを行っているのだが見ているだけではなんなのかわからない。けれどもその人はかっこよく見えてしまう、というような境地がいいと思っています。バランスがよければ飾りをつけなくても目立ってしまうのです。そしてバランスがよければスタイリングになんら苦は生じないのです。バランスがよければ、片手と片手を触れただけなのにまるで相手の体全体を捉えた感じを味わうことができます。

最近、360(スリースィクスティー・さぶろく)をもっとうまくきめたいんだということをまったく別の方面の男性二人から言われました。よって今度の16日水曜日は360をとりこんだルーティーンになるでしょう。20日はお休みをいただきます。その次の23日水曜日も形をかえて360を、引き続き27日もそれを踏襲します。今何がうまくなりたいか、という生徒さんの声はワタシを非常に燃えさせ奮い立たせる燃料なのです。



May 09, 2012

選択の権利

今この時期に日々刻々おこっていることの意味がわかるときがいつかくるんだろうな、という感覚で毎日をおくっています。レッスンのときに生徒さんと話すことがら、パフォーマンス練習の間におこる緊張と爆笑の連続、ミーティングのときのみんなのちょっとだけ不安を押し隠した顔、ワタシが大笑いしながらも「この週末はいったいどうなっちまうんだ」という気が気でない思い。8人がパフォーマンスのリハーサルに入るとき、ワタシといえば神田神社で例の「ほうぃ〜〜〜」という笙の音にのって赤絨毯を上をしゃなりしゃなり歩いているはずだが、そんな気分で結婚の儀とやらを執り行うことになるなんて一体どうして想像できただろう。昨日のミーティングではユーストリームを使えないかという話がでてきた。「センセイの様子をこっちに送ってほしいんですけど」「送ってほしいのはこっちだよ!!!」互いに相手のほうが心配なのである。しかしこの場合、ワタシはとにもかくにも顔も背中にも剃りをいれたことだし必要な着付けの材料も無事梱包して宅配でおくりおわっているし、あとは指定された時間に指定された場所にいれば、腰かけたときにそのまま後ろにひっくりかえるような粗相でもない限りおそらく目もあてられないことにはならないわけだけど、パフォーマンスメンバーのほう(特に化粧が大変な女子陣だ)は早起きしてシャワーを浴びて化粧をたたきこみ髪をぴっかぴかに結い上げ、遅刻なきよう集合し、一致団結してリハーサルおよび最後の練習および本番を迎えハレバレと引っ込んでもらわらないといけない。これは薄紫の着物をきた介添えがつくこちらに比べたらよほどしんどいといわざるをえない。うーむ。ここは一つ、がんばってもらわなければいけない。

ところで通常レッスンに関してなんだけれども、最近日曜日に面白いことがおこっている。メキシコ系アメリカ人がレッスンに参加してくれているのだ。そこでレッスンは半分以上ワタシのいてまえ英語で進められているわけなんだけれども、これが率直にいって非常に面白いのだ。指導にあたってコツなりポイントなり修正点がでてきたときに「あーうー、それは指の形がどうで」とか「えーあー、それは二人の距離とテンションがどうで」とかいう説明をするわけなんだけれども、こないだはワタシがどうしても「肘」を「ニー」といい間違えてしまい、彼がそのたびに小声で「エルボー」といいかえてくれるのだ。もちろん周りのみんなにはそれはばっちり聞こえているんだけどね。それが二回目か三回目になるとワタシはおかしくてたまらなくなってきて、同時にああ、これこれ、このコミュニケーションが旅の楽しさだよな、という記憶が鮮明によみがえってきてすごく幸福な気持ちになる。英語で説明してるからといって日本人にもその内容はやすやすとわかる。実際に肉体を扱っている場合には言語の果たす役割はすごく小さくなるからだ。この交流をワタシはすごく楽しんでいて、またほかのメンバーも彼のことをすごくソフトランディングにうけいれた。海外にでたときに、公園で通りすがる人とか、カフェでパソコンをうってるときなんかに「ハーイ」とか「そこ電波はいってるの?」「いやだめ。原稿うってるだけだよ」「OK」みたいなやりとりをする、あの「他人なんだけどたまたま行きあったから会話を交わす」ただそれだけのことがいかに心を健全で丈夫にするかということを、ここに日本で日常的に確認できるのは本当に嬉しいことなのだ。たまたまだけどこの教室の特に女の子には英語の得意な人が多いので「ようこちゃんなんだっけ、時代遅れは」「out of date?」「そうだこのやり方はout of dateだとワタシは思うんだよ」「OK」的な流れで会話が進んでいく。われながらおいしいポジションにいると思う。感謝である。

クラブのほうでも面白い出来事は多い。これもやはり、人と人との会話から生まれるものである。先日レオンのパフォーマンスを見てくれたペルー人が、非常によかったと声をかけてくれた。それで一杯ご馳走になりながら様々な話をしたわけだ。そこで「この間は一緒に踊った女の子があなたと全く同じ動きをしたのが非常に素晴らしかったわけだけど、いつもそのようにいくわけではないだろう、そういう場合あなたはどのように対処するのか」という質問をされた。非常に厳しい(笑)ところをついた質問である。そこで「実は自分自身が先日4/28のパフォーマンスで足を滑らせた。人のミスは責められない。」と万感の想いで答えたのだった。チャレンジすればミスはおこる。ミスのリスクをとってチャレンジするか、ミスをおこさない方向でまとめていくかの間を縫うように振り付けは決まっていく。私は先日、足を滑らせたことに関してその理由を自分が十分に認識しているので、いまだにその傷は全然癒えていないし、むしろ癒えていない状態で6/2を迎えることが自分にとって実に大切なことなんだと思っているのである。そのペルー人は「メッシがいるだろう、サッカーの」と言った。「メッシ。ああ、あのアルゼンチンの」とワタシがこたえると「そうだ。そのメッシがこのあいだチャンピオンズリーグでPKを外した。バルセロナの勝利がかかっていたのに」と教えてくれた。ワタシは今だにテレビを持っていないが、もともとサッカーの祝祭的要素と民族と肉体と知能の激突には常々興奮を感じてきた。また、ヨーロッパチャンピオンズリーグというのが事実上、ワールドカップよりも本当の「現在もっとも強いチーム」を決める重要な大会であるということもどういうわけか知っている。メッシのバランス感覚をとらえた一枚の写真をずっと昔このブログにアップしたことまであった。今、南米の子供たちは「MESSI」とかかれた帽子をお守りのようにかぶって未来の輝かしい自分を夢見ている。そのメッシがPKを、外してはならないところで外したという。私は何か非常に深い想いにとらわれた。そしてすぐに思い出した。「昔イタリアのスーパースターが同じことをしたはずだ。ブディストの。バッジオ?」「そうだ、ロベルト・バッジオ」「あれはワールドカップだったね?」そうだ、とペルー人は大きく頷いた。彼もまた、サッカーに人生の断片をみる多くのオトコたちの一人なのだった。バッジオの蹴ったボールがありえない高さに跳ね上がってスタンドに吸い込まれていったとき、会場のイタリア人たちがのみこんだ絶望の空気量があまりに大きかったせいでテレビの前のこちらまで吸引されそうになったことを覚えている。彼は今も仏教徒であるだろうか。そうだろう。あのときのあの「事件」に何か意味があったかときかれたら、おそらく「ない」と答えるのだろう。彼らの背負う責任と多額の契約金の前に自分にはなんら比較の意味もないと思われるが、個人のレベルでも常に「やってはならないミス」に関する強い信念とスタンスは必要であり、それは許す許さないではなく、それを生かすか、それがために絶望するかを選択する権利は自分にある、それも自分の行動にあるということが、今になってようやくわかるような気がしている。




May 07, 2012

出てってちゃうだい

ジョディ・フォスターはとんでもなく頭がよく同時に精神のタフな人で、ロミー・シュナイダーは「神はその人に背負えるだけの試練を与える」という格言をちょっと疑いたくなるほど荷物を与えられすぎたことがわかった。

実の父は幼いころに家庭を去り、継父にはベッドインを迫られるは、その継父に出演料を持っていかれるは、アラン・ドロンと大恋愛して祖国を去ったのにそのドロンにドロンされるは、次の恋人とは結婚し息子を設けるもののあっという間に不仲になりその離婚にあたっては持ち物一個一個の取り分を決めなくてはいけないという悲喜劇がおこり、さらに次の恋人(結婚もした)はドロンそっくりの色男だったけれど、ロミーを強迫して収入の大部分をもっていってしまったと疑われている。この結婚相手とうまくいかなくってからロミーの精神は急速に病んでいき(・・・当然と思われる)、一人目の結婚相手が首吊り自殺、二年後に息子が祖父母の家に帰宅したら誰もいなかったので塀をよじ登って家に入ろうとしたら滑り落ちて柵の上にとりつけられていた槍(海外によくあるあれ)に串刺しにされて死亡。そのときにはロミーの心を支えることのできる男性が現れていたが、彼の献身の甲斐なくロミーは薬物とアルコールにむしばまれて亡くなるのだった。『ロミー・シュナイダー事件』(ミヒャエル・ユルクス著/平野 卿子 集英社)というこの本は、一人の人間におこりうるありとあらゆる不幸の総決算みたいなもので読んでいて具合が悪くなること請合いだけど、なお傑作なんだ。作者は「人間・ロミー」にではなく、「収入源・ロミー」にくいついた男たちへの限りない怒りをこめてこの作品を書いたと思う。ロミー・シュナイダーはドイツ出身だが本国よりもフランスでその美と才能を開花させ受け入れられ、六十本の映画に出演し、若くして亡くなった。

というわけで感情移入しやすい自分はこの本が名作であるだけにとっぷり落ち込んだわけだけれども、幸い次の名作はとびきり明るいやつだった。こちらはもう何年も前だけれども大ヒットしたことが記憶にしっかり残っている、マイケル・J・フォックスの『ラッキー・マン』。読み出して数行でこの人のすごさにノックアウトされてこのブログを書き始めたというわけ。引用するよ。

その日の昼過ぎ、ぼくのトレーラーに来客があった。ぼくが一度も会ったことのない男性だった。マイケル・ケイトン-ジョーンズはむさくるしい格好をしていた。これは誉め言葉だ。一九七八年ごろ、バンクーバーのアーツ・クラブ・シアターにあるトイレの壁の卑猥な落書きの中でみつけたちょっと気の利いた言葉「創造的なむさくるしさはくだらないこぎれいさよりいい」をぼくは信じているからだ。ぼくのトレーラーによろよろと入ってきたケイトン-ジョーンズは、汗を吹き出していた。丸い赤ら顔には無精髭が生えていて、だぶだぶで、ミスマッチの古着屋で買ったような服を着ていた。それが一九九○年の夏の流行だったわけだが、彼はそう思って着ていたのではないと思う。(『ラッキー・マン』マイケル・J・フォックス著/入江真佐子訳 ソフトバンクパブリッシング)

ワタシはこういう文章が本当に好きで、なんというか・・・震える。細部まで書いているのにそれがうるささのかわりにノリを生み出していて、読み手が見たことのない人間をありありと描写できる観察眼と筆力、ユーモア。マーティー・マクフライという役名であんなにも有名だった彼は、みんなの知るとおりパーキンソン病にかかって役者人生から身をひいた。そして彼はそのために自分のことを「ラッキーマン」と呼び、もしこの病気にかからない10年を選ばせてあげようという神様仏様が現れたら「出てけ」と即刻追い出せるという。

この「出てけ」という台詞を適切なときにはっきりといえるかどうかという能力こそ人が自分の人生の舵取りをできるかできないかのターニングポイントであり、できない場合は激流と他人に翻弄されることになり、また逆にそれが何歳であってもその重要性に気付くのに遅すぎることはないのだろう、と思われてならない。




May 03, 2012

GWパーティー@新宿ラテンクラブレオンレポート

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おかげさまで大好評でした!ハレバレ顔の四人です。大雨の中ご来場くださったみなさん、応援を本当にどうもありがとうございました。今回の結果を生かして5/12下北沢、そして6/2横浜赤レンガへと最高のパフォーマンスに成長させていきたいと思っています。


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DJ HIGOの選曲も美しく冴え、皆さまに大満足いただけたことを確信しています。素晴らしいパーティーになりました。これを機にまた次のパーティー、次のパフォーマンス、新しい出会いへと歩みを進 めることができることを嬉しく思います。新しい仲間が増えることを願ってやみません。みんなの笑顔の輪がこの夏大きく広がりますように。それではみなさ ん、ステキなGWをおすごしください。



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