□2008-9年冬NYの旅/後編

January 29, 2010

目的地ははっきりと

ご案内いろいろに引き続き、一年を経て解答が得られたとある
出来事について。
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February 25, 2009

フラット

ニューヨーク滞在中、水道管が破裂してドミトリー水没の危機に
瀕したときに、零下の中ともに水をくみ上げた戦友・TAKEさん。
彼は日本でけっこうな会社を辞めてDJで身をたてるべく渡米した
ということで何かとウマがあいました。

けっこうな身分を捨てるということは、成功するまで家族に認めて
もらえないということ。私の場合はサルサ、彼の場合はDJ。
ともに親兄弟から「それはぜひがんばりなさい」とはいって
もらいにくい。
結果だしてなんぼなんだよね、説明してもだめだよね、と笑った
ものでした。

彼の仕事ぶりをみていると「あ、この人おっきなカイシャでシャイン
じゃない社員教育しっかりうけた人だな」ということがよくわかるん
ですね。ほかのスタッフさんに何かとアドバイスをしていた。
だから「DJやるからアメリカ行く」と宣言したときの親御さんのショック
と不安は察するにあまりあります。
親に理解してもらうために仕事するわけじゃないけれども、仕事で
成功することは大きな親孝行になるわけで、親の理解があるか
ないかということが気持ちの底辺でかなりの影響力を持つのは
事実。読者の皆さんの中には早くに親御さんをなくされた
方も少なくないと思いますけれども、いつまでも「今の自分を見てて
ね」という気持ちはなくならないものなんじゃないでしょうか。

さて、ニューヨーク滞在中にそのTAKEさんが話してくれた印象深い
お話。
彼自身はまだまだ駆け出しということで、大きなイベントになれば
なるほど順番はアタマのほうになります。ある夜、自分の出番がお
わったときに「よかったよ、すごいじゃないか、がんばれよ」と気さくに
声をかけてくれた人が、その日のトリを務めるカリスマDJだったと
いうことがあとでわかった、という話です。
そのときの「ほんっとにすごい人ってのはどんどんフラットになって
いくんだよね」という言葉がいつまでも私の中に残っています。
それが彼がニューヨークにいる理由なんだそうで。
ビッグになればなるほど気さくになっていくタイプの人に会えるから、
と。

それを余裕とよぶか、器とよぶか、言い方はいろいろあるでしょうが
ダンス用語でいえばまさに「肩の力が抜けている」って言葉がぴったり
なのかなあ。
自分の存在に絶対的な自信とよりどころをもてている人だけが発する
優しいオーラが確かにあります。

仕事を続けていくということは大勢の人とうまくやっていくこと。
その中で変わらぬ自分を貫きつつも柔らかくあるために・・・
それこそがフラットな状態だと思うんですが・・・人間をこえた何かを
信じる気持ち、もしくは何もかも包んでくれる心のふるさとが必要だな
と感じることはよくあります。
うーん・・・いずれにしても簡単じゃないけど。




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February 10, 2009

キューバ・プエルトリコ・ニューヨーク

ニューヨークの話ばかり書いていたらキューバが懐かしくなって
きました。
両者は政治的にも文化的にも切っても切れない関係にあります。

アメリカにはキューバが・・・というよりもカストロ前議長がというべき
なのかな・・・大嫌いな人たちがどっさりいる一方で、キューバ訪問を
望む人々も数多いときいています。大統領が今変わるという情勢に
あって、さてニューヨーカーの感覚はどうなっているのかもちろん
気にはなっていましたが、滞在中に「キューバについてどう思います
か」というような質問を発することはもちろんできませんでした。
それほど率直に話ができるほどの人間関係を築くのに、一ヶ月と
いう時間はあまりに短くて。
もし1年にもわたる長期滞在ができるならば、もっとも話してみたい
話題であることは間違いありません。

ニューヨークには実にたくさんのプエルトリコ系の人々がいます。
私は90年代後半にキューバ訪問をした折、帰りがけにプエルトリコ
に寄ったのですが、そのときちょうどプエルトリコは「独立か、自治州
か、完全にアメリカの一州になるか」という選択を迫られていました。
結果的にプエルトリコの人々はアメリカの一州にはならないという
結論をだしたわけですが、「キューバの意地」を体験した直後
だっただけに「それだけじゃちょっと弱いじゃないか」という気が
したことは否めません。でもそれはしょせん部外者の戯言にすぎ
なくて、私たちもそうであるようにプエルトリコの人々も生きていく
ために最善の道を選んでいるだけだと今は感じます。
ただ、街を歩いていて道のそこここにぎっしり立ち並ぶアメリカ系の
ファーストフード店には失望しました。
市場にいっても圧倒的に品物が不足していて、バナナを買うのに
30分行列、バスに乗るのに1時間行列、それがどーした、という
キューバの生き方も行き方だし、生きるためにアメリカと共存する
プエルトリコの生き方も行き方。どちらも必死です。
現在プエルトリコは「アメリカの自治連邦区」という特殊な扱いに
なっていて、自治は認められても国家元首はアメリカ大統領です。

今回ニューヨークに行ってみて、プエルトリコそのものに滞在した
ときよりもずっと強く、プエルトリカンのプライドや存在感を強く感じ
たことが不思議でした。
キューバとプエルトリコは兄弟姉妹の関係にあるといわれる一方で、
ことサルサとなると双方「こっちがルーツだ」と頑なにひきません。
私は、「サルサはキューバのソンがなければ絶対に生まれることは
なかった。しかしプエルトリコの重厚なリズムが加わらなければ
こんなに面白くはならなかっただろうし、ニューヨークという舞台が
なければここまで洗練されることもなかった」と解釈しています。

ちょっとした小話です。世界的に大人気で日本でもファンの多い
フランキー・マルティネスはプエルトリコ系です。
彼はレッスン前にロビーで「自分のダンスのルーツは家族だ」と
明言していましたけれども、面白いのはそのレッスン内容といい
使っている音楽といい、明らかにキューバの影響を多大にうけて
いる。そのうえ彼の舞踊団はアバクアといって、キューバ出身者の
秘密結社の名をとっているんですね。でもレッスンでは絶対に
キューバという言葉を使わない。キューバ的な要素を彼は「アフロ・
カリビアン」と呼んでいました。
私はここに彼の「絶対譲れないプライド」を垣間見たような気が
しました。
これがキューバとプエルトリコのサルサにおけるライバル関係を
実によく象徴しているように思えたのです。
そしてライバルがいるからこそ、サルサはここまで面白さを増した
のだろう、とも。






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February 02, 2009

祭りのあとの月曜日

月曜の朝
アメリカの年末年始は
日本ほどお祝いムードじゃ
ないよ、ときいていたけど
そんなことはなかった。




クリスマスに引き続きちょっと小旅行、という感じでいまいち仕事に
身が入らない雰囲気がそこここに満ちていた。
1月1日は祝日で木曜日、その次の2日が金曜日だったために
「まーいーやもー全部休んじゃえ」という感じで結局本当に年が
明けたのは1月5日の月曜日。そのときのなんとなーく憂鬱な
市民の雰囲気を取りたくて撮影したのがこれ。
そう、今日の皆さんの気分と似てるのかな。

といってもこれほどすかっと晴れ上がると「あーもう冬は終わったー」
とちょっとだまされてみたくもなりますね。
土日の強風はごっつう荒れ狂いましたし、これで冬将軍も退散した
だろ、と。とかいってそう簡単に春にならないことは毎年百も承知して
るんですけど。

さて、ニューヨークから戻って三週分のレッスンを終えました。
昨日は自分なりにその総括みたいなことをしていました。
そして改めて思いました。自分ほんとに練習が好きになったな、と。
何が必要で何が不要かということがものすごくクリアにみえるように
なったと感じます。

それから日本てこれからどうなるかな、というようなことも考えてました。
ちょうど「There's only the United States of America」なんて
あまりにもかっこよすぎる言葉をちっともくさくなく言える人物が
大統領になっちゃったところで日本をふりかえってみると、
「There's only 47 TODO-HUKEN of Japan」とおきかえてみてもなんの
説得力もない。
「どげんかせんといかん」といってわが村わが町わが商店街の活性化を
はかるのがこの国の政治というか経済というかの限界で、「嵐の中
国民が一丸となって厳しい冬をのりこえんといかん」的な説得をはじめた
瞬間、その人物が眉唾にみえてきてしまう。
それは日本が「国」というものを語ることを数十年タブーにしてきた・こざ
るをえなかったことと当然深い関係がありますが、個人レベルでは本当に
この国とこれからどうやっていきたいのか腹くくっておかないといけない
な、と相当遅まきながら考えさせられてしまった。
「自分はこの国の人間である」というよりも「この国と自分はどうしていけば
いいのか」という絶望的な距離感はどこからくるんだろう?

そんななか、サルサというキーワードを通じて今この国で切実に必要と
されているコミュニティ・・・それもバーチャルではなくリアルなコミュニ
ティを、そうと意図しないでも次第につくりあげていけることの幸運を
改めて感じたことでした。さんきゅう、カミサマ。








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January 30, 2009

風邪注意注意!!!

ジミーアントンソーシャル現場
今ニューヨークで最も集客力を
もつジミー・アントン・ソーシャルの
現場。踊る踊る踊る。そこはもはや
社交場ではなく、限りなく「体育会」
でした。



会う人会う人風邪かインフルエンザかどっちかでもうたいっへんです。
私は幸い風邪ですみました。うがい手洗い励行を皆さんにすすめて
ください、とのインフルエンザ組Aさんからの伝言です。
さあみなさんご一緒に。
がらがらがらがらがら〜〜〜〜〜 ぺっ

私といえば今、今日の前半のアップがおわってちょっとした休憩タイム
です。金曜日を皆さまラキアでご一緒に。これはもう大学の卒論に
匹敵する命題です。やりがいありますね〜燃えてますよ
今日で三回目。あいにくの雨ですが駅から走れば一分ですから。
さみなさんご一緒に。

だーっしゅっ!!!!いくぞどすこーーーーいっ!!!
おいーーーーーーっすっ!!!




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January 29, 2009

ビレッジの青春

ヴィレッジの学生たち



年末のグリニッジ・ビレッジ。
スープやサンドイッチ、
スイーツやコーヒーを
出す居心地の良いカフェ
には談義をかもす若い
学生達が集っていた。




中学生のころに親に隠れて深夜番組を見たときのスリルを今も
昨日のことのように覚えている。迷える若者だった私は、10年後の
自分がどこでどうしているべきなのかどうしても実感を掴むことが
できず悩みに悩んでいた。自分の力にあった高校、そして大学へ、
というどっしりしたレールに片足のせかけては、もう一人の自分が
「いや違う、お前はそこではない」と毎晩確信をもって語りかける。
「じゃどーすりゃいいんだ!」といえば「さあ」とそっぽを向く。
毎晩がその繰り返し。私は深夜に放送される名もない映画に答えを
求めた。その中でも忘れられない印象を残したのがこれ。
『グリニッジ・ビレッジの青春』だった。
ストーリーはいっさい覚えていない。しかし、世の中にはこんなに楽しげ
に青春を謳歌する人々がいるんだ、という羨望で胸がつまった。
それに比べて行き場のない自分の寂しさ、もどかしさが身にしみた。
そのとき私はグリニッジ・ビレッジという街がどこにあるのかさえ
知らなかったのだ。放映が終わったのが午前四時。
ほの明るくなりはじめた居間でぽつねんとしていた。
見つかればしかられるのはわかっていたけど、それよりももっと大きな
感情に包まれて、消したテレビの前で呆然と座り込んでいた。

それから20年。グリニッジ・ビレッジにはあのときテレビで見たよりも
もう少し垢抜けてさらりとした学生たちが集っていた。
いつのまに私は彼らを超えていた。
でももし生まれ変われるならば「あんな」学生時代を送ってみたいと
今でも後ろ髪ひかれる想いは否めない。
今ならグリニッジ・ビレッジがどこにあるか知っているから。

さ、今日は恵比寿です。
帰国三週目に入ります。ニューヨークで目撃した彼らのすごさを
一滴ずつ皆にしみこませるべく。





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January 28, 2009

努力すれば


ハーレムデリ



ニューヨークでは地下鉄の
駅一つにつき必ずといって
いいほど斜向かいに二件の
デリがあった。この数は東京
首都圏のコンビニをしのぐの
ではないかと思われた。




デリでは日用品一式と軽食が手に入る。日本の作りおきのサンド
イッチは食べられたものではないが、その場でパンをあたためて
もらい卵とベーコンとレタスと・・・と注文してはさんでもらえばどの
デリのサンドでもとてもおいしかった。
ものの旨い不味いは品物名によってではなく、材料の質と新鮮さ
による。やはり国ごとに得意不得意があるのは当然で、日本なら
その場で注文して握ってもらうおにぎりなんかがあればたぶん
外国人にもうけるだろう。「玄米ライスにサーモンとカッテージチー
ズとスピナッチとうめぼし」みたいに。
問題はあれは素手で握らないとどうにも「おにぎり」らしさに欠ける
「米の塊」になってしまう。でもそうすると食中毒発生なんでしょう。
私はビニール手袋はめた手で握られたおにぎりなんてやなんだけ
どなあ・・・そこがクリアできれば・・・無理かなあ・・・。

さて、写真のデリはブラックハーレムで撮影したもの。
こういうのがほぼ交差点ごとにあると想像してくれればよいです。
24時間営業なので買い物にはまず困らない。
アルバイトくんがやるんじゃなくて、店主がどっしりと構えているので
地域のたまり場というか情報源というか、そういう存在でもあるんですね。
私はデリで買い物するのがどういうわけかすきでした。
中心街でも、郊外でも。どこか懐かしかったんです。

さてハーレムといえばこのニュースは心温まるものでした。

「努力すれば何にでもなれることがオバマ氏のおかげで分かった」と
いう13歳の少女の言葉。これぞオバマさんの存在意義をどんぴしゃで
言い表しているといってよいでしょう。
私には将来なりたかったものが三つありました。
ダンサーか作家か建築家。
そのうち一番最初にあきらめたのが建築家でした。
数学が大得意じゃないとだめだとどこかできいたからです。

高校生のときに我が家にヨーロッパからの留学生がホームステイに
きて、「将来何になりたいの?」ときかれて、当時はダンサーと作家は
到底なれる道筋がないと思っていたので「本当は建築がやりたいんだ
けど数学が苦手だからだめなんだ」といったら「そんな若いのにもう
できないって決め付けるなんておかしいよー」と笑われたことを覚えて
います。でも私は自分には数学ができないと当時完璧にわかって
いました。

できないなりに数学というものを思い返すと、数学はおそらく二段階に
わけられるように思います。
一つ目の段階は何と何をどうするとどうなるか、という「結果を出す」
段階。1+1=2というのがそれです。12÷3=4もそうですね。
二つ目の段階はあるものとあるものはイコールである。
これを形をどんどん変えていけ、という段階です。
方程式以降の数学はすべてこれに集約されるんじゃないかというふう
に感じています。
この面白さにはまった人は数学を「美しい」と呼ぶ。
宇宙の法則のようなものを解き明かす数式は必ず美しさを秘めて
いるものだ、という気がするのですね。
私の周囲には数学の得意な人がたくさんいました。
しかし、その美しさをすぱっと説明してくれる先生が残念ながらいなかっ
たのです。だから私は「だめなんだ」と迷いなくいいきったんです。
これは運です。誤解しないでいただきたいのは私は運を責めるつもりは
毛頭ないってことです。
数学では不運でもあったし努力もあっさり放棄しました。
しかし当時道筋さえないと思われていた残りの二つに関しては、
建築ができなかった悔しさも含めて今、ブルドーザーのように荒地を
開墾しているわけです。

「努力」などという泥臭い言葉が13歳の少女からかようにすっきりと
発せられたからには。大人は負けられないです。




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January 27, 2009

グアンタナモ

レッスンスケジュール表

レッスン会場に張り出された
スケジュール表。月曜日には
キューバンカッシーノと
ルエダのクラスがあった。



スウィング、ミロンガ、タンゴ、バチャータ、社交ダンスにリンディー
ホップ。もちろん場所を変えればヒップホップもハウスもなんでも。
ニューヨークはないもののない街だった。それぞれが趣味はもちろん
いつかブロードウェイはじめ大舞台に通じる可能性を秘めている。
生徒の母集団は多いといえどもインストラクターには一瞬の気の緩みも
許されない。といっても四人くらいでほんわかやってるクラスもあった
けどね。

そんな中、パフォーマンスチームを持たないインストラクター・
ゲイブことガブリエル・ペレスの存在感は忘れられない。
ニューヨークでON2を教えているインストラクターはほぼ事実上
「エディ・トーレスの子供たち」である。だからベースの部分は
皆同じ。しかしその中で頭一つ抜きん出る人間はやはりうーんと
うならせる武器を持っている。
ゲイブの場合、なんといってもそのすごさは「歩き方」にあった。
獲物をつける黒豹のようなのだ。足の裏全体に神経が行き渡って
いて物音一つさせずにフロアを自在に滑るのだけど、そこに
ラテンダンサーならではのどっしりした重みがある。
彼は不必要に生徒に媚を売らない。レッスン中はほとんど笑顔も
見せない。だからといって冷たいというのとも違う。
必要なところですっと出てきて必要なアドバイスを与える。
動物と人間のいいとこどりをしたようなヤツなのだった。
彼の男性の間での人気は絶大で、常時20名くらいの働き盛りの
男たちがつめかけていた。
日本と同じく、パフォーマンスには興味はないけど趣味として、
ストレス解消として、順次うまくなりたいという男たちにとって
ゲイブは完璧なアイコンになっていた。
以前紹介したとおり、彼はエディさんとこの生徒時代MR.DETAILS
というあだ名があったときいて私はウケにウケたのだけど、あとに
なって彼は会計士か何かの資格をもっているだか勉強しているだか
という噂をきいた。本人に確かめてはいないけれども、なるほど
「その一歩」にこだわる彼の美学の根底に会計学のような緻密な
勉強があるとすればそれは心から納得できるものだった。

キューバにあるグアンタナモ米軍基地の異常性については、政治に
一粒も興味のなかった私でさえかつてから心を痛めていた。
時を経て、歴史と政治と文化が三位一体であることを知った今と
なっては、人々の幸福のために、また究極的にはダンスの幸福の
ために、どうかキューバの大地はキューバにお返し願いたいと
祈る想いがつのるばかりだ。
テロを防がなければならないアメリカの立場は当然だ。
しかし、あの小さな島の中に地雷に埋め尽くされた収容所がある
などとはどう考えても正常とはいえない。
誰もが幸福を祈っている。しかしその道がどうしてこうも遠く険しい
のだろう。
ダンス教室ではどんなスタイルも仲良く共存しているというのに。



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January 26, 2009

大逆転

リン


中央が作詞・作曲・主演の
リン=マヌエル・ミランダ。




この2月でニュージカル”IN THE HEIGHTS”を降板し次の
仕事に取り組むことになった。続投する主演者が未定となれば
激しいオーディションとなること必至だろう。
主役を勝ち取ればたちまちトップスターに躍り出ることができる。
しかしこの役はストーリーテラーかつラッパー、またなんといっても
観客の共感を掴む愛されるキャラクターを要求され、なおかつ容
姿がラテン系でなければ説得力がない。
こういう条件を備えた新星が現れるか。それともひそかに決まって
いるのかどうか。
ちなみに本ニュージカルへの投資額1000万ドルはわずか10ヶ
月で回収したそうで、公演は文句なしの続行が決まっている。

人生をどのようなものとして捉えるかで幸不幸は大きく左右される。
その鍵となるのは、一人一枚のジョーカーをどのタイミングで使う
かではないかと感じることが多い。エースではなく、ジョーカー。
というのは、エースというのは強い・きれい・美しいと最初からわか
っているからである。それに対してジョーカーは強いのか弱いのか、
敵なのか味方なのかがぎりぎりまでわからない。
早く出しすぎれば叩かれて有力者につぶされ、ずるずる出し惜しみ
していたら最後はババとなって腐ってしまうのだ。
リンの場合、マンハッタン島最北部のインウッド育ちである。
一般的にニューヨーカーとして非常に不利な地の利といわれる。
しかし彼はそれを逆手にとってスターの座を勝ち取った。
貧しいラテン系の人々の愛と涙を古典的なアメリカンドリームの
ストーリーにのせることによって万人の共感を得ることに成功した。
彼はジョーカーを、「2」でも「ババ」でもなく「エース」として正々堂々
ブロードウェイという大舞台に持ち込み見事に勝負を制したのである。
彼自身にとってもまさかの展開であっただろう。
勝負の女神は確かにいるのだ。
あのオバマ大統領も、ほんの数年前には黒人の古い有力者の前に
なすすべくもなく大敗している。
勝ち負けで物事を判断するのは好きではないが、自分のたった
一枚のジョーカーを信じぬくことは絶対に必要だと日々思う。

昨日のレッスンにご参加くださった皆様、ありがとうございました。



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January 25, 2009

マチート・スクエア

マチートスクエア


マルコム・X、ティト・プエンテに
続いてマチート・スクエアも見つ
けました。
イースト・ハーレムに再び音楽の
嵐が吹き荒れる日を待ち望むの
はもうかなわぬ夢なのでしょうか。
彼らに栄光、再び・・・・!




そう、先日紹介した記事にもあった通り、なんらかの才能で大都市
ニューヨークを勝ち抜いた人々はミッドタウンへと南下し、成功の
階段を一歩ずつ上っていきました。イーストハーレム=スパニッシュ
ハーレムは不況にあえいでいます。彼らが貧困スパイラルから
抜け出し、スペイン語が母国語であることがハンデでなく武器に
なる日がくることを祈るような想いで待っています。
実際ソーシャルではいわゆる「ラテンの勝ち組」に何人も会いました。
英語はもちろんスペイン語も堪能で、仕事も安定し、世界各国の
サルサコングレスにあわせて休暇をとって遊んでくるような人々。
アメリカを踏み台にして人生を謳歌する道を見つけたラテン人は
確実に存在しているんですね。話してみて感じたのはやはり
頭のよさ。目がいいんですね。
出自に限らず勘のよさと、自分の存在に充足していることは成功の
絶対条件のようです。


さて、両国は二週目に入り実にまとまりのあるがっしりしたレッスン
体系に早くも収束しつつあります。一定のレベルを維持しつつ
ご参加の方に「今日はこれができるようになった、なるほどこういう
踊り方もあるのか」という発見を体感してもらえるよう一回一回丁寧に
すすめるのみです。
金曜を両国で。この評判が広がるよう、常に前の、しかも遠くのほうを
見ています。

今日はすばらしいお天気に恵まれました。久しぶりですね。
新宿御苑にてレッスン開催です。
自分の体を自分の支配下におく。これが音とかみあったときの快感は
たまりません。ではご参加の方、後ほど!



salsaconsul at 12:21|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)
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