■SALSA FRESCA泣き笑い

July 22, 2022

それ、一度でいいから言われてみたい話

忘れないうちに、次回のレッスンは8/21(日)17時から原宿で予定しています。

ただ、今の状況はなかなか緊張感をはらむものではありますね。私の知人も家族ぐるみで感染しました。幼いこどもも含まれています。自分が発熱しながら家族の面倒も見なくてはいけない状況は察するにあまりあります。

さらに医療が危うい状況になっていくならば、レッスンの中止もありえます。Kzとのレッスンは基本的に二週間前で確定させるようにしています。様子を見ながら、お知らせしますね。

さて、あのときはわからなかったけどいまならわかるよ、という気持ちになることはよくあります。特にやはり、お子さんを育てながらサルサにはまって、私のところに来てくださった女性たちの気持ちです。

日曜日の午後のレッスンで、「一週間で、この時間だけが私の楽しみだから」とおっしゃってくださっていた女性。その言葉の重みが、いまならわかります。あのときはごめんなさい。

軽く受け止めていたわけではないのですが、理解の深さが足りていなかったと思います。うん。

この時間だけが楽しみ、とはどういうことかというと。

「美容院にいって髪を切るのをあきらめるかわりに、伸ばし放題であか抜けない髪であることに目をつぶってもサルサに行く」

そういうことです。そうですよね?

きれいにして、おしゃれして、サルサに行きたいですよね。サルサって、モテる遊びですもの。

でも、小さい子どもがいると、どっちかしかできなくなるんです。おしゃれしてもどこにも行けないか、おしゃれしないでどこかに行くか。

それって、素晴らしいレストランには行けるけどそこで何も注文できないようなものです。

もどかしい。切ない。

そんな女性たちのジレンマやたたかいを、私はすぐそばにいながら、本当にはわかってあげられていなかったと今はわかります。

出かける直前まで子どもをあやしてなだめてスパゲッティーを作ったフライパンを洗って、「おやつは冷蔵庫の二段目に入ってるから!」と叫んで家を飛び出してきた女性たち。五時になると夕飯の献立を考えながらシューズをはきかえていた女性たち。本当にありがとうございました。私のレッスンが、その頑張りに報いることができていたかどうか。

で、そこに「でもこどもってやっぱりかわいいから」っていうオチをつけるのは違うよね、というのが今の時代だと思います。そこじゃない。

私たち、どうしてこんなにつらいのかしら、ということに女性だけでなく男性も気付きはじめました。ほんとですよ!

いま、子育てと家事のために仕事を休もう、手伝いじゃなくて主体になろう、そういう男性が確実に出てきています。

本当にまぶしいです。

サルサは男のカッコよさが輝く遊びでもあります。カッコよさの本質は思いやりですよね。女性がどういうことでツラいと思っているのか、その荷物を見抜いて軽くできる人がカッコいいのです。

かつては違いました。かつてのカッコよさとは「弱味を見せない人」でした。今はそんなの全然、です。時代は本当に変わりました!

今、世のなかで最もモテている日本男児といえば、大谷翔平さんでしょう。男女問わず、世界中からモテ倒している。野球を見ない人でも、海外でも、オータニのことは知っているという状況だそうです。

しかも、先日のオールスターではファッションでも第一位評価。その根拠は「カリフォルニア・クールを体現」ですって。どこまで持ってる男なんでしょう。

それで、どうしてここまで彼がモテているのかを考えるに、そりゃ野球のすごさは今さら言うまでもないですが、サルサにずっとかかわって、男性も女性もたくさんたーくさんお会いしてお話させていただいた私から見て、ですよ。

彼は日曜日の妻に「どこかに行ってくれば?」って、あの変わらない笑顔で言ってくれるだろうって。そして子どもとキャッチボールして、バーガーでも適当に食べさせて。そしてお片付けゲームしてから映画なんかこどもと一緒にみて。

そういう人であろうって、自然にそういうことをする人だろうって、信じさせてくれるんです。彼の歩んできた道のりとそのたたずまいから、彼は絶対に妻の疲労とジレンマを放置しないって、思わせてくれるんです。

それが、今の女性たちが求める「カッコよさ」だと思います。まさに、クールなんです。

それって、そんなに難しいことでしょうか。実は幸福って、気がつきさえすれば、すぐそばにあるものなのではないでしょうか。





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July 19, 2022

無限の彼方へ

結局丸々一週間、咳と鼻水を続けた子どもが今日ようやく登校していきました。とはいえ、あと2日で夏休みです。この夏から、うちは学童を使います。丸1日、子どもにソファーを占領されることはないというわけです。

先月私が多忙だったために試しに学童を使ってみたところ、意外にもこどもが気に入ったというのです。本が多くて、読むものがいくらでもあるようです。

学童の先生が、ハリー・ポッターはどうか、前にここに来ていた子の親にリクエストされて全巻買ったが、その子がやめてしまいその後誰も読んでいないと教えてくださいました。それをうまいこと気に入ってくれて、どうやらこの夏はハリポタで八方良しとなりそうです。

一昨日のことですが、そのこどもが「今日か明日、プールか映画に行くっていうのはどうかな」(ほんとにこのように言います。なんか劇画的というか、ちょっと風変わりですよね)といいます。むげにするのもあれなので、じゃあまあ、明日どっちかにいこうか、と返しました。

で、私が行きたいのはマーヴェリックです。そりゃそうでしょう!!今このタイミングでって言ったら決まってるじゃないですか!!何度見ても飽きないトップガン。カセットテープでサントラ(!!!)を聞いて聞いて聞き倒したトップガン。教官がなんで縦線の入ったストッキングなのか、ツッコミどころだらけのトップガン!!

というわけで行ってきました。バズ・ライトイヤー。そうなってしまうんです。ドラえもんやプリキュアじゃないだけ感謝しないといけません。ああ、トム・クルーズに会いたい、、、。

とはいえ私はトイ・ストーリーが大好きです。もう本当に大好き。笑いのツボど真ん中です。どんな気分のときにもあれは優しく包み込んでくれる。そして毎回同じところでわかってるのに笑ってしまう。最近テレビ放映されたトイ・ストーリー4見ました?笑って泣けてもう最高ですよねえ。

で、そのトイ・ストーリーの伏線というか、なんでしたっけこういうの、派生もの、ああ、スピンオフだっけか、ですね。バズ・ライトイヤー。主人公のカウボーイ、ウッディの宿敵から、紆余曲折を経て親友となった宇宙飛行士のストーリーです。

主題は人間の成長物語です。バズ・ライトイヤーがなぜあのようなキャラクターになったのかが、丁寧に説得力もって描かれているんですね。なんでも自分でやろうとするバズ。人を信用しないバズ。新人嫌いのバズ。その彼がいかにして真の大人になったかというストーリーでした。

私自身が幼いころ見ておきたかった映画だったと思いましたし、自分のこどもがいい頃合いでいい作品に出会えたとも思いました。ハリウッドの脚本家のレベルの高さは本当に筋金入りだと今回も思いました。人間とは、というところの踏み込みが深い。類型化されていながら、それがくさくない。もまれにもまれてストーリーが生まれているんだろうなと思います。

あと、女性同士が結婚して家族を作ることが自然にストーリーに盛り込まれていました。地域によっては、すでにこれが当たり前になっているんですよね。著名人でそのようなカップルもいますしね。

帰宅してからこどもがそれについて聞いてきました。「女の人同士で結婚できるの?」とか「女の人同士で子どもができるの?」とか「男の人同士も結婚できるの?」とか。ジェンダーに関する会話のきっかけとしてとても良かったと思います。海外に行ったら都心部には当たり前にそのような家庭がある時代ですし、そこで育った子どもたちとの交流もまた当たり前にあるわけですから。

愛と信頼に性別はあまり意味を持たない。子育ては血縁よりもご縁である。
これを、なだらかにこどもが理解していくとすれば、やはり映画の力は素晴らしいと思います。

さて、映画といえば予告編を何十本も見せられるのが定番です。まあ、あれも盗撮マンが走って逃げて捕まるのをみるのと並んで、おなじみお約束のお楽しみではありますよね。

で、でます。この夏。ジュラシック・パークがまた。あーーーもうたまらない!!「お願い。付き合って!!お願い!!」今度は私が子どもにヒーヒーお願いしました。

「しょーがないなあ。まあいいですよ。私はこわいからほとんど見ないでしょうけどね!」だそうです。

この劇画チックなしゃべり方・・・私に似たんでしょうけど、やっぱり友達はできにくいらしいです。しょうがないね。映画のヒーローは大体子どものころうまくなんてやれていないものだよ。



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July 16, 2022

おいおいどうなってんだよ

国葬?びっくりだね。民主主義を断固として守り抜くため?およそ民主主義とは正反対のことばかりやってきた人を民主主義のために国葬?これは二億円をかけた壮大なギャグなのか?

母。息子が大変なことをして申し訳ない?おいおい。それを言うならまず息子に謝れ。その間違った土下座の方向も三千万円也の教典に書いてあったのかい?

こんな見当違いの話を聞いてると、自分のアタマのほうがおかしくなったのかと一瞬わからなくなるね。

誰かを裁かないと落とし前がつけられないっていうんなら、警備態勢について好きなだけ議論されたらよろしいし。議論討論は民主主義の礎だものね。

親がおかしくなったら子どもももろとも不幸になるのは家族主義。それが、よくない。今回の事件の意味はそういうことでしょう。それ、もうやめましょうよってことでしょう。

話を民主主義の危機とやらにすり替えるの、やめましょうよ。そういうことじゃないでしょう、彼が我々に突きつけたものは。家族主義は、功罪の罪のほうが大きいってことにいい加減向き合いましょう、制度と文化を変えましょうってことでしょう。核心はそっちですよ。

彼は民主主義の転覆なんてひとかけらも考えてないし、誰もこの事件で民主主義は終わったなんて思ってないし。政治家だけですよ、全然違うステージで間違ったステップ踏んでいるのは。

彼は赦されていい。そのかわり、自らのことを書いたら同じ境遇にある二世を救えるかもしれない。大体、一体誰が彼のことを裁くなんてことができるのか。

政治家よ。どの口が民主主義と言う。



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July 14, 2022

ダンゴムシは夜、木にのぼる

熱のさがったこどもから今度は強い咳がパンパンと繰り返され、回復までの道は思ったよりも遠く、四つもの低気圧に包囲された天気図が延々と次の次の週末まで続く図をみてげんなりしている、雨の夜です。

今年の前半はなんとまあ信じがたい事件の続くことでしょう。異常が普通の感覚麻痺。幕末の日本人はこんな感じだったのかしら。

久しぶりに母と電話で話すと、地方の地方のそのまた地方でも、女性たちは「信じられない」「なんとまあ」と驚きを分け合ってしのいでいるのだとか。

こんなときに女性たちは集まって、編み物して刺繍してパッチワークして、心を平らかに保ってきたのでしょうね。

それにまたコロナが勢いを増してきた。今度のはまた質が悪いのだそうで。医療機関の緊張が高まると我々の気持ちも荒くなるものです。

そのようなときに、意外なところから私に「我が道を行け」のメッセージを送ってくるものがいます。そう。あのダンゴムシです。

先日子どもとともに、弱って動きの鈍くなったメスを逃がそうと決めました。お箸でそうっとつまんでこどもの手のひらにたくすと、戻ってきたこどもが今度は新たなオスをほいっとケースにいれました。

このオスがどうやら最もこのケースと相性がいいらしく、盛んな生態を披露してくれるんです。

彼ははっきりと、振動と光を嫌います。人がいなくなって数時間たつと、乾いた松の葉にのぼって、日差しのない甲羅干しをするんです。さながらパパラッチ嫌いのハリウッド俳優の趣です。

突然住み慣れた庭の暗がりから謎のUFOキャッチャーによってケースに入れられたにもかかわらず、彼は慌てず腐らず丸まらず、堂々と「いつものオレ」を貫いているのです。

他の多くのダンゴムシは、この低気圧を嫌ってか(ダンゴムシさえも低気圧のときは土から出てこないものが多いのに気がつきました)じっと隠れたままなのに、このニュータイプは自らのスタイルをけして曲げない。

ダンゴムシでさえ、かくなる個性があるのです!!

戦争も異常気象も海難事故も暗殺も、彼の好みを左右することはありません。彼は常に、彼のままで彼らしく、人の目が消えるのを待って乾いた木にのぼるのです。風通しのよいところに一日一度あがって「リフレッシュ」したいのです!!

己の愛するルーティーンを変えることなかれ。

私は思わず彼にラテアートの施されたコーヒーなぞ差し入れたくなってしまうのでした。




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July 12, 2022

おそい話

帰ってみたら子どもが高熱でした。これまでにもよくありました。私が1日離れると子どもがなにかしら具合が悪くなっている。心理的なものなのか物理的なものなのか両方なのか。「こどもには母親がいないと」的な神話ぽくてきらいなんですけれども・・・。

今回のはこれまでと次元が違う39度ごえ。この体温になるともう大人でも眠れませんよね。横で私も朝までつきっきり。サルサのあとになかなかのおまけがついてきました。

こうなると抗原検査かPCR検査かって騒ぎです。どこにつれてくんだ?いくら持ってくんだ?いつまで待ったらわかるんだ?と、現在の検査態勢が意外にわからない。これを調べるのに二時間くらいかかる。ネットではちょっと前の情報まで混ざってくるのでますますわからない。

結論としては、いきつけの小児科、が正解でした。いや、危なかったですよ。車で一時間以上かかる、県がやってる無料のPCR検査場に連れてくところでした。そこは発熱してない人が対象だ、とわかるまでにかなり時間ロスしました。

小児科に電話して予約して、屋上駐車場に車をとめて、その中で検査してもらって薬ももらうながれでした。すごい!医師と看護師と薬剤師のほうが車を回るという作戦です。三年たったらここまでになっていました。こんな素晴らしい態勢になったのに、それをどこにも書いていない。書く人がいないからですね。もったいない、、、。そうなってるってわかるだけで安心できる人がたくさんいるでしょうに、、、。それぞれの医院でどのような検査態勢で、結果の受け取りかたはどうなのかは是非とも必要な情報なんですが、、、。

受ける検査はざくっといえば、発熱したら抗原検査、症状なければPCR検査です。でもこれも意外に書いてなくてわかりにくいんです。書いてあるのは「PCRのほうが正確」ってことだけで。実際受けてみて、すぐに結果がわかる抗原検査の使い勝手のよさは貴重だと思いました。そして、現代社会だとPCR検査の結果がわかるまでの時間は、現在の1日半からできれば三時間、せめて六時間までに短縮しないと経済的ロスが大きいぞ、というのは感じました。外注にまわした検査結果を医療機関に戻すのは治療にあたっては必要でしょうけれど、ダイレクトに本人も知れるようにすればいいのに。そしたら陰性なら即刻仕事に復帰できる。このへんの時間感覚の調整まで、もうできる時期にきてないのでしょうか。

このように、あれこれあれこれ考えている間に抗原検査のこどもの分の結果がでました。コロナ、インフルエンザ(医師の判断で追加)ともに陰性。私のPCR検査の結果は明後日の朝ですが、発熱したほうが陰性なのでまずセーフとなるでしょう。

先日フェイスブックでお食事お運びロボットに衝撃を受けた話をかいたばかりですが、これだって技術的にはとっくにできたはずのもので、かつ人手不足になることもとっくにわかっていたのに、結局コロナになってはじめて実現した。

遅い、、、おそいおそいおそいおそいぞ日本!!

それから、私は日曜日の打ち上げの席で一口飲んではマスク、一口飲んではマスク、ってずっとやり続けていたわけなんですが、これを怠っていたらもしかすると皆様にご迷惑をかけていた可能性はあったわけです。今回は幸い結果オーライでしたけれど、「帰宅してみたら家族が発熱していた」というパターンでは、飲み会するとやっぱり感染の危険は免れない。

改めてインストラクターとしての責任を痛感したと同時に、つくづく思うのです。

おそい。おそいぞ日本。





salsaconsul at 05:51|この記事のURLComments(0)

July 10, 2022

団子虫がもたらす波状攻撃

子どもがダンゴムシを持ってきて「飼う」と言い出した、というネタはネットや漫画の世界で定番です。

その定番が先週からうちにも起こりました。学校で、ダンゴムシを飼ってみようという課題が出されたのです。

やだよー、、、という親の躊躇を尻目に子どもは張り切っています。ニリットル入りペットボトルの空いたのに、力強くカッターをいれて、ダンゴムシ飼育容器を完成させました。これをみて、ため息とともに腹をくくりました。これはなかなかなことになるぞ、と。

配られたプリントには、土を三センチ、あとはとってきたダンゴムシをいれよう、エサは落ち葉や野菜くず、煮干しとあります。

公園にダンゴムシをとりにいった子どもは、二年上の男子たちにいじられてケンカになり、しょんぼり帰ってきました。「・・・行かなければよかった。」の顔に涙と無念がにじんでいます。まずこの、公園に一人で行くというのが容易ではないのです。

そこで私は、家の庭にとっておきダンゴムシスポットがあることを教えました。私が草むしりした葉をさしあたりまとめているところです。その小山を持ち上げると、いるわいるわ、さながらダンゴムシのサルサカリベ状態です。宝物はすぐそばにあるのです、大抵。

子どもの顔が輝きます。二人でそのあたりの土をペットボトルにいれ、ダンゴムシをシャベルですくって数匹。あとは小石に枯葉に、彩りに海で拾った貝殻もいれました。

子どもはダンゴムシに「ゲンちゃん」「ゲンくん」と名前をつけ、朝に夕にペットボトルを覗いています。家にいれたがる子どもと、それだけは阻止したい私の攻防戦の始まりです。

なんとか外飼いすることは認めてくれたものの、今度は置き場でひと悶着。学校の生き帰りに見やすく、風通しもよく、、、などとあれこれ試している間に、数日でひからびた一匹を見つけました。

これではダメだ。危機感が私を襲います。いつのまに、私がはまっていたのです。ダンゴムシ飼育に。

さらに2日たって、ペットボトル容器を覗いてもあのまるまっちい姿が全く見られなくなりました。さらに、涼しいと思っていた軒下の縁側が、私の不在の間の時間帯にはカンカン照りの日差しに照らされていたこともわかりました。

「・・・ゲンちゃんもゲンくんもいないんだよね」。私が告げると、学校から帰った子どもは台所に座り込んでポロポロ泣きだしました。その深い悲しみは、相手が虫だろうが人だろうが関係ないことを如実に語っています。

とはいえ死骸はまだ見つかっていない。私は望みをかけてなのか意地なのか、真剣にネット検索しました。簡単といわれているダンゴムシの飼育がいま目の前で失敗しようとしている。何がいけないのか。

ここで得た最大の成果は「ダンゴムシは夜行性」という情報です。子どもが起きている時間にはダンゴムシは出てこない、というどなたかの記事に、私はダンゴムシより先に息をふきかえしました。

そして、広葉樹の落ち葉のカビのはえたのがいいという動画も見ました。針葉樹のはダメだといいます。乾いた大ぶりの葉っぱも、様子を見るに、隠れ場としてはよいもののエサとしてはだめだとわかりました。どうやら腐りかけのしなしなしたやつがいいようです。

好物という煮干しにはあまり食べられた跡がありません。レタス、しいたけ、チーズの切れ端をいれても見ましたが、半日たったらアリの大群ができていたのでこれも撤去。

腐った広葉樹の落ち葉。日陰などという生半可なところではなく、ほぼ真っ暗な藪の中に埋めるようにペットボトルを置く。あとは朝晩忘れず水分をふりかける。

そしてその夜九時半。ペットボトルを家にもちこんで、懐中電灯で照らしてみると。丸々した三匹がモゴモゴ元気に動き回っているのを一週間ぶりに発見したのです。

「良かったーーー!!!」と叫んだのは子どもも私も一緒です。小さな虫であっても、自分の無知のせいで死ぬところを目の当たりにするのはかくもつらいものだということを知りました。

週明けにゲンちゃんゲンくんを学校に持っていくのだそうです。子どもが晴れ晴れとこの体験を発表できるのなら、こんなに嬉しいことはありません。公園で一匹も見つけられずケンカにも負けて帰ってきたときから見れば、なんという成長でしょう。

私のほうはといえば、週明けにこっそり新しいダンゴムシをペットボトルに入れておくという卑怯な手を使わないですむことに、いつにない安堵を覚えています。

今日は久しぶりのレッスンです。ダンゴムシの命と比ぶれば、サルサのなんという平和なことよ、、、。髪型も変えたことだし、原宿の街と生徒さんとの再会を満喫したいと思います。



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July 08, 2022

ピンチの話

皆様 こんばんは。
眠れない夜のつれづれにブログを書きます。

私には二十代のときからのJくんという旧友がいます。物書きになるために生まれてきたような人でして、悩める時期を単身ドイツで過ごしてきました。

帰国して、結婚して、お子さんもいて大変な子煩悩なんですが、翻訳をしながらドイツ滞在中の経験を熟成させていったのでしょう。

『世紀末ベルリン滞在記』をついに出版し、ドイツ社会の狭間に生きる「ドイツ人でないドイツの人間」たちが何を考え、どのように生きているのかをまざまざと書ききった労作です。ドキュメンタリーの体をとった文学だと私は思っているんですが。

アマゾンのコメントにも称賛が溢れています。ほぼ共通して「これからの日本(人)に必要なことが書いてある」という読後感に触れています。

Jくんの魅力といえば、とにかく人間にたいして壁がない。ありのままを受け入れることができる。特に故郷を飛び出して生きる人にたいする彼の共感の力は、自らもまたそうだからという枠にくくりきれないものがあります。

多くの方々がそうだったように、この二年で私もまた生活が激変しました。それまでの私は、フェイスブックを通じて公私の別なく人々の毎日がなだれ込んでくる状況に対して、本当に悩んでいました。私自身もまた、知人たちに刺激の強い情報をなだれ込ませてしまっている自覚があり、それにも憂鬱になっていました。

コロナ禍は、その問題に対して真摯に向き合う時間をくれました。

人と人のつながりには、「この人には私のこの顔」という、使い分けがあります。互いが了解した顔同士で付き合うところに安定がうまれるわけです。

しかしフェイスブックでは、その人向けではない私の顔をさらすことになります。私のようにフリーランスで生きている人間の場合は、特にそうなってしまう。その問題は深刻です。

フェイスブックがもたらす途方もない疲労感は、その「見たくない顔と見せたくない顔の洪水」に溺れてアップアップしている感情があげた「助けて!」の悲鳴によるものなのだと理解できるようになりました。

その私のあまり見せたくもない一面を、柔らかく受容してくれる旧知の友人たちが何人もいます。Jくんはその一人です。彼がともに過ごしてきた人間たちの人間臭ときたら、私の比ではありません。彼は「人間、生きるためならなんでもあり」の現場で、彼らとともにベルリンの街を歩いてきました。

今の私に必要なのは、彼の本が放つような「アウトサイダー(彼自身は「エトランゼ」と呼んでいます)の力」です。みんなが老後の心配に明け暮れるふがいない今の日本。そんな中でいつのまにお前、守りにはいってないか?カッコ悪くなってないか?彼はそのように問いかけてくれる存在です。

彼の本に登場するような「人間ていいな」な人間たちの話と、老後の資産運用の話と、どちらが酒が美味しくなるか。私はそういえばそういう飲み会を最近していない。ピンチです。




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July 05, 2022

そんなやついるのか

前回投稿してから一年半が過ぎたんですね。久しぶりにここに帰ってきました!皆さまお変わりありませんか?

私はコロナ対策のために非公開にしたレッスンをKzと不定期で行いながら時節を待っておりました。

コロナのおかげでこれまで後回しにしてきたこと、違った自分と向き合えたことは幸いでした。

積もる話はおいおい、として今後のこのブログのことですが、やっぱりこれが読みたいと思ってくださる方が今でもいらっしゃるんですね。私にとっては驚きでした。ありがとうございます。

だいぶん何もしていなかったので、動画の再生はもうほとんどできなくなっていますし、リンクがあちこちほころびていたりして全然面白くない感じになっておりますが、幸い書いたことはそのまま残っていますので、それはそれでそのままにしておくことにして、

皆様何が読みたいかといえばやっぱり笑いたいってことですよね。

そこに私の暗い話が映りこんでくるっていう、そういう形なのかな。

私、ダンスの帰りの電車でよく事故物件サイト見てるんです。あの炎のマークがついてるやつですね。

そこで以前自分が夜うなされて全く眠れなかったホテルに炎が二つついてることを知って妙に納得したりとか。

すごく楽しかったあとは、「バランスをとるために」事故とか死とかに関連するものを読む癖ができちゃったらしいです。それくらいテンションがあがりきっちゃうんでしょうね。あとはダイアナ妃の記事なんかよく読んでます。

そんな人います!?!?!?





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November 08, 2020

サルサはどうなるのか

ご無沙汰しています。ごく少人数の窓のある会場でのレッスンをKzと秋に二度開催して、これが今年の仕事納めになるのではないかという予感です。大統領選にもいよいよ決着がつき、これはあくまで象徴とはいえ、私たちは本当に遠いところにやってきたという感覚があります。

サルサという遊びをどのように考えるか。私の周辺では、マスクを着けて変わらず踊る人と、完全にサルサから距離をおく人とに二分されました。このことに、これまでいい意味で曖昧にしていられた生活スタイルの差異が否応なく際立ってしまった、、、と感じておりました。これまでは家族の存在はあくまで遊ぶ曜日と時間帯の差の範疇におさめられていたのですが、これからは躍りにいくことそのものの条件に「一人暮らしであること」かつ「オンラインでの仕事が可能であること」がカウントされるようになりました。この状況が、ワクチンが行き渡ってかつ安全性に目処がたつ数年後まで続くだろう、ということになりますと、現在うまれたサルサの世界における分断をあとになって埋めることは相当に難しいだろうと予測されます。

ニューヨークの友人はセントラルパークでのソーシャルを開催していました。秋のいい季節にこれは楽しいだろうと。さすがみなさんスタイリッシュで、いわゆる「いけてる」感じが写真から伝わってきました。しかしそれでも、季節限定、時間限定的なものです。アメリカの場合、ラテンの音楽チャンネルが非常に豊富にあるので、いつでもどこでもソーシャルやクラブのような選曲を楽しむことが可能です。厚いラテン人口の層に守られて、サルサの文化はけしてとだえることはないでしょう。しかしレッスンを受ける人口は減っているに違いなく、インストラクターたちは転職を余儀なくされていることにも違いなく、技術の継承という意味でこのあとの数年間は空白の期間がうまれることがありえます。

ラテンアメリカではどうでしょう。いやいや、彼らはめちゃめちゃ子だくさんで、みんなしていつもどこでもワイワイワイワイ歌って踊っている文化です。サルサはメキシコやコロンビアのような中南米の大家族のなかにおいて生き伸びるのではないかと思えます。キーワードは、家族です。そう、鬼滅の刃のように。

では、レッスンにいってまいりますね。




salsaconsul at 15:54|この記事のURLComments(0)

September 06, 2020

皆様どうでしょう:21

ご無沙汰しています。
あれからまたときはうつりかわって、この瞬間はコロナよりも台風に気をとられる形になっていますけれども。昨年三度の台風でさんざんだった土地にいるものですから、いま直下にいる方々の無事を祈らずにいられません。

わたしはこの夏は短く帰省をしました。本当に行って良かったと思っています。私自身も、家族も、おいっこめいっこも、親も、姉も、会ってともにモノを食べることでたくさんエネルギーを蓄えました。まわりに気をつかうことは必須ですけれども、それをさしひいても、集うことの価値は言葉にならないと思いました。

ただ、さまざまな事情でそれがかなわないご家族がたくさんあることももちろん知っています。そのようないたみやさびしさを秘めていま生きている方へ、言葉でない何か、ありがとうでも頑張ろうでもない何かを伝えたいように思ったのですけれど、やっぱり言葉がないということを確認しただけでした。



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