■SALSA FRESCA泣き笑い

February 10, 2018

こんにちは!

寒さがほんの少し緩んでそれだけで幸せな気持ちになりますね。私は今日、久しぶりに駅までの25分くらいの道のりを歩いてみました。これまであまりに寒いのと多忙なのとでそんなこともできなくて。少し春めいた日差しにまもなく冬が終わることを確信して幸せを感じていました。皆様はどんなところに春の兆しを見つけましたか?

最近、立て続けにベトナムのことを耳にすることが多いです。実際、日本にくるベトナムのかたがとても増えていますよね。私は高校時代にベトナム戦争の話を聞いて以来、ベトナムにはよい印象をもっています。改めてその歴史を読んでみると、なんとまあ興味深い。そして近代化工業化に関しておそらく日本がたどったのと似たことが生じるのだろうと、そのかじ取りを祈るような気持ちで見守りたくなります。

東南アジアでもサルサはどんどん広まっていますよね。サルサをみなが楽しめる社会は、豊かさが行き渡った社会。いまは海外に足を伸ばすのが難しいけれど、希望をもっていつかの機会を待ちたいと思っています。

明日は新宿ウミバルでオン2レッスンを開催します。これからは私の感性で、これがかっこいい、役に立つよ、というコンビネーションを紹介していきます。どうぞお楽しみに‼



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January 04, 2018

仕事始めです。皆さまファイト!!

今日から仕事初めのかた、お疲れ様です。
おはようございます。
私も今日から、いつもの毎日に戻ります。
朝、お雑煮を作るのでなく餅を焼くのでなく、ポットに紅茶をいれる日常が戻ってきました。
今朝も寒いですね。出勤する方はどうぞあたたかく。

年末に一日中掃除をし、年始に寺社仏閣を詣でることの心地よさありがたさが、今年ようやくわかるようになりました。一年の計という言葉の意味が身に沁みます。どのようなことがあったとしても、お正月があるから心身をリセットできる。ずっと連絡をしていなかった人にも、このときだけは不自然さを感じさせることなく挨拶することができます。これはとてもよくできたあり方だなあと実感しています。

クリスマスもお正月も、何もないのが一番などと先日書きましたが、そうはいってもお正月というのは、一年の中でほとんど唯一「恥ずかしさ」を感じることなく祝える行事であるのは間違いありません。理由は間違いなく、親がこの行事だけは重んじていたためでしょう。そしてその理由もまた、間違いなくそのまた親が重んじていたからに違いありません。

ここ、千葉の田舎に引っ越してから、子どもの送り迎えの合間合間を縫って地域の歴史に触れるようにつとめています。かつての生活の地盤は稲作にありました。私の住まいのすぐそばに、泥の田んぼに埋もれて亡くなった人々の塚がたっています。そんなに大昔のものではありません。また、江戸時代には殿様と臣下たちの暴政のために人々が餓死、離農を余儀なくされた壮絶な歴史もあります。ひとことで離農といっても、現代のように都会にいけばサービス業ができる時代ではありません。あてがわれた土地を離れることはほとんどそのまま死を意味したでありましょう。人々は食うや食わずで、この季節を何度も何度も乗り越えてきたのでありましょう。

千葉のような比較的温暖な土地でさえそのようであったのですから、いわんや何度も大飢饉に襲われた東北の冬、開拓時代の初年度には「屋根さえない」家に暮らしたといわれる北海道の冬はいかほどの恐怖であったことか。そのなかで、もしも雑煮や汁粉を一年でただの一度味わうことができるのが正月であるとすれば。正月は人々が「生きている」実感をかみしめ、全員がひとつ歳を重ねる、いうなれば命の行事であったに違いありません。

そのように理解することができるようになったことは、やはり周囲を田園に囲まれた環境に身をおいたためであろうと思います。私の思考の中心でありほぼすべてであったサルサは、この「生きることのすさまじさ」を実感できる大きな環境に包まれ、熟成しつつあります。もともとそのように思っていたことではありますが、改めて、私たちはサルサダンスなどという贅沢を堪能できる時代に生きているということを思います。その中で私のすべきこと、できることを、あらためて見つめていきたいと考えています。これが私の仕事始めの朝の気持ちです。

1/28(日)には恒例のお座敷借り切り宴会「ツボーチョ」を開催いたします。詳細はぽえまた主催のGinさんのブログをご覧ください。今回もがんばります!!皆さまふるってご列席くださいませ!!



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January 01, 2018

新年おめでとうございます

サルサバーで新年を迎えた方も、仕事中の方も、帰省の方も愛着あるマイルームの方も、あけましておめでとうございます。
完璧すぎる大掃除が実現し、感動にどっぷり浸りながら新年を迎えました。旧年最後に行ったいつもしない行為は「こどもの園での靴を洗う」です。完全だ、完全すぎる。
今年も朝一番に風呂を洗い、熱いレッスンを行い、簡単だけどおいしいものを作り、世界のニュースに耳をそばだて、学び、祈り、笑い、清々しい毎日を積み重ねていきたいと思います。チームは二月から新しい曲に入ります。本年も皆様よろしくお願いします!



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December 24, 2017

店をしめるお話

今日はほんっとにたくさんの方にお会いできた一日でした。
ずっと踊り続け、笑い続け、幸せでした。どうもありがとう!!

今年の仕事はこれでおしまいです。
ほんとは年末の仕事のお話もいただいていたのですがいえの都合がどうしてもつかなくて。
だから今年はクリスマスとお正月をまじめにまじめに演じてみようと思います。

私はこういう年中行事がすごく苦手で、なにもないのが一番なんて思っている口なんですけれども、できる年にはやってみようかな。できない年もいっぱいいっぱいあったのだから。先日、古い同級生がかつてアメリカに留学したときに覚えたすばらしいクリスマスの過ごし方の話を教えてくれて、それをきいたらなんだか自分に欠けているものがなんだったのかずきゅんと知らされたような気がしたのです。

それは、感謝だろうと思います。クリスマスを祭りとしてとらえるならば私にはなにもすることがないのですけれど、感謝のチャンスととらえればできることがいくばくかあるように思いました。

今日は、先日終電でたまたまいあわせてお友達になった方が、わざわざラスリサスまでお菓子をとどけてくださったのです。ほんとうにびっくりしたしうれしくて心がふるえました。私はレッスン中でお会いできなかったのですが、来年にはきっと会えるはずです。

クリスマスは日本ではなんだか、「ちゃらい」印象のある行事です。こどもとキリスト教がからんでいなければ、ことさら何かをしなくてはいけない日ではないと私は思っています。私のように、普段たくさん見えるもの見えないものをうけとってそれにたいして何もできていないように感じる方は、その気持ちを伝えるいい機会としてつかえばいいし、そうではなくて普段から持ちつもたれつ気持ちいい人間関係を築けている方は、そのまま素敵な交友を続ければいいし、手持ち無沙汰な方は年賀状を作ればいいし、もちろん踊りにいくっていう選択もできますし。そんなふうに、皆さまにとって嘘偽りなく気持ちのよい日曜日でありますように。

そうそう、今日ちょっとびっくりしたことがあります。
つぼ八に「12/24と12/31はお休みします」って張り紙がしてあったのです。
え、居酒屋ってお休みがあるの?ととても驚きました!!
そしてすぐに、ああそっか、働き手がいないんだな、と腑に落ちました。
いま、飲食関係って人出不足すごく深刻になっているんですよね。

そして、いいじゃないかいいじゃないか、みんなが働きたくない日に店を閉める、それってみんなの幸せのためにすごくいいじゃないかと思いました。たとえ別に誰とどこで何をするではなくっても、働きたくない日ってたしかにありますよね。そういうときに店をしめる勇気っていうのも、たしかに必要だと思います。

人出不足をきっかけに、日本人がもっと堂々と休めるようになるならばかえっていいのかもしれない。
今日はつぼ八でそんなことを思っていました。












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December 22, 2017

「絶対にいやだ」

おはようございます。
朝、あまりの寒さに肩がきーんと痛くなる感覚で目覚めます。
今年の12月は本格的ですね。

下旬のこのなだれ落ちるような忙しさは毎年のことです。
今日は、この一年の御礼をこめて書きます。

私は学生時代に同級生の女の子のご実家に一泊したことがあります。
千葉の郊外でした。彼女は1時間半かけて都内に通っていたことになります。
邸宅ではないけれど、瀟洒な清潔感あふれるおうちでした。

お母さまは細身で、たとえば生け花であるとか、絵画鑑賞であるとか、そういうことがお好きな方なのかなという印象でした。

泊めていただいて、私はひとのおうちなのにものすごくよく寝てしまって恥ずかしいくらいだったのですが、朝、ふと気づくとそのお母さまがお風呂の掃除をしていました。六時台でした。

そのときに私が反射的に思ったことがあります。

朝一番に風呂掃除をするような生活は
絶対にいやだ

いまこうして書いてみると、なんとまああさはかでこどもで理解も感謝もない発想だろう、とパソコンの差し込み口のなかに入りたくなります。しかし例によって、若い人間の考える根拠のない決意は強烈でした。絶対にいやだ、と思ったことを、そのときの日差しの色の白さも含めて昨日のことのように鮮明に覚えているのです。

さて、いまもし朝一番に風呂掃除をしたくないという願望を実現しようとするならば、三つの選択肢があります。

1.ハウスキーパーを雇う

2.家事ロボットを入手する

3.風呂に入らない

この中で一番現実感を帯びているのは、いまとなってはもはや、2です。私の根拠のない予想では、20年後には、これが可能になるのではないかと、本当に思うのです。もしくは、自動で洗浄されるお風呂というものがそのまえにできるかもしれません。実際、トイレに関してはそういうものがもうできてきましたものね。

結局私は、その千葉在住の友人が土地勘や地元の情報網を根拠に「いい」と断言した街に引っ越し、一時間半かけて都内に向かい、朝6時台に風呂の掃除をしています。

絶対にいやだ

その気持ちを完全に逆転させうるほどに、時の流れが人を押し流す力は強く、確かで、あらがえないものであることを感じています。

明日は本年最後のぽえたまです。明日はレッスンあとのフリータイムはもちろん、その後の飲み会まで参加します。いつもの方も久しぶりの方もお待ちしています。



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December 16, 2017

今晩は小伝馬町JBA にうかがいます

昨今のなかではあったかい日で、なにとはなしにささえられてる感じです。にしてもパフォーマンスの日はトランクが重い。練習よりそっちでへろへろになる。とはいえ準備はオーケー、ただいまご飯中。まもなくスタジオ入りします。お会いできるのを楽しみにしてます‼



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October 24, 2017

プレゼント

こんばんは。もうすぐ明け方です。
今回もすごい台風でしたね。雨も風も。そんな中で選挙があって、激動の10月だなあと日々感じていました。

今週末、10月29日(日)にジャパンサルサコングレスにはじめて出演します。
パフォーマンスチームに多大な応援とご理解をくださったぽえたまのGinさんと、コングレスの運営ボランティアにご協力くださるYayoiさん、Kaoruさん、Kazuさんに心からの感謝をお伝えしたいと思います。

前日の10月28日(土)には鎌倉芸術館オルケスタデルソル南佳孝さんのライブが開催されますが、このときにサルサのステップとペアダンスをご教授する楽しい企画に参加させていただけることになっています。これにはRie先生、Keikoさん、Shibuyaさん、サルサホットラインのMurayamaさんが関わっておられて、それぞれの皆さまのおかげでこのような光栄な仕事を担当させていただけることになったことに喜びと恐縮を感じている次第です(このライブにご興味ある方はお気軽にご連絡ください。お手配をいたします)。

さて、私が率いるチームはRio presents "Apaga La Luz"(リオ プレゼンツ アパガ ラ ルス)という名前で出演をします。これまでTurn off the lightというインディアの曲名をチーム名に冠してきたんですけれども、登録時に文字数の制限があって、短いほうのスペイン語表記を採用することになりました。あかりをけして、というのは恋が成就するときのことを指しています。トキメキとロマンチックな雰囲気が曲調に溢れています。

これまで様々な場所でパフォーマンスの機会をいただき、皆さまの応援を頂戴しました。そのたびになにがしかはじめてのチャレンジをするということを自分たちに課してきました。そしてこのジャパコンでは、ほとんど全く違う作品を創作するほどの大改革を行っています。今回は諸事情があって男性二名、女性五名の所帯です。この男女比の違いをどうやって作品としての「魅力」に変えるかということが問われています。

私はこれまで、「贈り物」と「提示する」がどうして両方とも「プレゼント」なのだろうと不思議に思ってきました。調べればわかることなんでしょうけれども、それとなく疑問に思いながらそれとなく放置してきた類のことです。それが今回、振り付けと練習の一番追い込まれているときに「ああ、両方とも『自らの分身を差し出す』ということなのだ」とずばんと腑に落ちた瞬間がありました。

人に贈り物をするときも作品を提示するときも、両方とも「今私が感じていること、あなたに差し出したいものは、これです」という意味でもって、相手に自分の分身としてなにがしかを手渡し、その・・・審判という言葉がふさわしいのかどうかは迷うところですが・・・反応をうかがうことになります。それが、プレゼントするということなのだということが、突如としてわかったような気がしました。今回のジャパコンでの作品は、まさに私を「プレゼント」する場となります。これが今の私の境地です、という作品になります。

振り付けの変更でメンバーには多大な負担をかけています。本番が近づくにつれてプレッシャーはどんどん大きくなりますけれども、このときにダンスの技量とタフネスが爆発的に鍛えられます。それぞれが本当に頑張って、この一回のステージのためにエネルギーを注いでいます。メンバーのご友人、ご家族にはどうか引き続き応援をよろしくお願い申し上げます。

はじめて出場するジャパコンでもって、改めて大会運営の規模の大きさにふれ、大勢の方々のバックアップ抜きで舞台に立つことができないことをまざまざと実感している状況です。どのイベントもそうですが、サルサダンスの祭典としての規模と歴史はやはりここに集約されているのだろうと思います。そのダイナミズムをおおいに学んでこようと思っています。

私たちは10月29日(日)17時、イベントのトップバッターとして出演をいたします。大きな声援をいただけますようにお願い申し上げます。チケットのお手配は私かメンバーまでお申し付けくだされば幸いです。





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September 09, 2017

明日は新宿西口ウミバルでぽえたまON2です

この一週間、月曜から今日までずっと病院に泊まり込みをして
いました。突然の子どもの入院で、なんと24時間つきっきり
介護!!トイレと院内で食べものを調達するときと日中の
シャワー以外はまったく席を外すことが許されない状況で、
びっくりしたうえに日常につながる食べるものがない
ストレッチができない自分用の寝る場所がない、とんでもない
日々を経験しました。
これでも、病院内にコンビ二があるだけいいんだそうです。
ほんとかよ!!!!!!!

とにかく経験だけは厚みを増した一週間でした。
しかし、子どもはおかげさまで元気です。

そしてとにもかくにも生きてかえった私は明日皆さまと
ぽえたまの新基地、新宿西口ウミバルでお会いします。
すごく居心地のいいところです。
新宿って駅近では手の届く場所はまずないのですが、
徒歩圏内で居心地のいい居場所を開拓すべく、調べて
調べて調べつくしてみつけたところです。
場所は新宿マイスタジオのあるブロックのひとつ先
(大久保より)のブロックになります。
外側はフルぼけたビルですが、地下のこのお店は
つくりに余裕があって、私は一回いって即、ここでやりたい
って思いました。
英語でコーズィって言葉があるでしょ、まさにそういう
感じ。
中のスペースに余裕があるので、みんなにゆるりと
くつろぎながら部活感覚で楽しんでいただけると思います。
ご期待くださいね。
詳細はおなじみGINさんの「サルサのある日常Part2」で
ご確認くださいね。
特に私とGINさんのミーティング中にうまれた
「首飾り理論」というものは、ご参加いただく皆さまに
ぜひとも共有いただきたい考え方です。
これがわかっていると、サルサを練習する際の目標設定が
非常に簡潔になります。
ぜひこちらをご一読ください。

それでは13時からのレッスンでお待ちしています!

p.s.今回ずっと病院に泊まり込みをして、子どもと寄り添う
ことがほんとに命がけやなあというか、人生をかけたもの
なんだなあと改めて認識しなおしました。
そのような今だからこそ、この記事が目に留まり、響きました。
このように人は生きているということ、噛みしめてこれからも
生きていきたいです。

今回、家の者が早朝から夜遅くまで勤務で交代がまったく
ききませんでした。
これが子どもの病気のときのみならず毎日である人も多く
います。
私は今回、いらいらして叫ぶ子どもに対して疲労困憊の
あまり何もできなくなってしまったことが二、三度ありました。
ひとりで育てていて、この状況になってしまった場合、
家族や保育園や周囲の人の支援がなければ、何が
おこってもおかしくないということを自覚しました。
病院内には看護師や保育士がいますが、最低限の援助しか
お願いできません。それでさえ、お願いしにくいことこの上
なく、お願いしなければ動けないということがとてつもない
ストレスでした。
これが病院内でなければ、到底お願いなどできるはずもなく。
私がこうしてサルサダンスという素晴らしい仕事をさせて
いただいているその皮膚一枚の裏側で、日本の社会が
かかえる危機的な状況と向き合った貴重な一週間でした。

私とかかわってくださっている皆さまの中に大勢のお父様
お母さまがいます。
その歩みに敬意を表します。




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September 01, 2017

夏の終わりのハーモニー:その3

子どものことです。4月に引っ越しをしてから、すぐに新しい保育園に通わせはじめました。私にはあふれるほどの仕事が控えているのです。子どもはたくましく、活発で、よく笑いよくしゃべる子ですので、なんだかんだいってどうにかなるだろうと楽観的に考えるようにしていました。そして、結論からいえば、今、楽観的に考えたとおりの結果になっています。問題は

そうなるまでに四カ月かかった

何があったかというと、すさまじい癇癪をおこしていました。雨戸を震わせるような泣きわめきです。私が終始べったり自分のことを見ていてほしい、かまっていてほしいというわけです。掃除や洗濯や料理も許しません。ある朝、私がレッスンパフォーマンスその後のつきあいもろもろでほぼ死んでいるときに奴は私の目をこじあけ顔をぶんなぐって起こしてきました。私はこのときばかりは飛び起きて、子どもの手首をしこたま指三本で打ちました。奴は壁も屋根も振るわす勢いで泣きわめきましたが私は布団をかぶって寝ました。次に殴ってきたら今度は頭突きでふすままでぶっ飛ばすと思っていましたが、さすがにこわかったみたいでただただひいひいわあわあぎゃあぎゃあ泣いておりました。眠れるわけがないです。

以前の保育園では連れていくが早いか勝手に遊び始めていたのですが、引っ越ししてからは連れていっても私から離れなくなりました。おんぶしろといって背中にべったりです。いつまでたってもです。最後はふりほどいて、床に大の字で転がってなく子どもにバイバイする毎日が続きました。これは本当にこたえました。多くのおかあさんがこれを経験されるのですが、各自各様にこれはこたえます。特にこれのあとでレッスンやイベントがあるときは本当に参ります。笑顔になれないのです。子どもはストレスを、車の機器をさわることで発散しようとしはじめました。いくら危ないからやめるように言っても全然だめで、とうとう走っているときにギアを動かしたときには絶叫レベルで怒りました。狭い車内で泣きあいの怒鳴りあいです。本当に、これも、参りました。

駐車場ではふざけたり走ったりしないようにということを子どもに教えるのも、これまた非常に苦労しました。あるとき、買い物した帰りに車にのせようとしましたが、子どもは帰ると私が家事をするのを知っているので帰りたがりません。いつまでも駐車場であっちこっちぐずぐずとごねるのです。これがあまりに危ないので、わたしはまたしても何度目かでブチ切れました。そしてぎゃん泣きする子どもをそれこそ車にぶち込んで帰りました。こういうとき落ち着いて運転するのは、パフォーマンスで冷静に呼吸を整える訓練としてこれ以上ないよい機会です。シートベルトなんか勝手にはずして車から転がり落ちかねない騒ぎを、奴は繰り広げていました。

その翌日ですが、偶然、事故にあってひしゃげた車をレッカー車がひっぱってくる現場に遭遇しました。「ほらね」と私は言いました。「車がごっつんこするとこういうふうになるんだよ。」子どもはしばしだまって、やがて

こわい

と言いました。ほら見たことか。そうだそうだ、かーさんのいうことをきけ!!!!わははははは!!!とわたしは思ったものです。
そして実際、その日を境に子どもは車対応に関して急激な変化をはじめたのです。かーさんのいうことには一遍の真実があるということがついに奴にわかったようでした。

ことばも発達し、どうして泣いているのかが自分で説明できるようになってきました。そのそれなりに一生懸命の表現にはがつんと、強烈な痛みを覚えるようなこともありました。保育園でバイバイをするときにはすごくさびしい、というようなことをいったこともありました。あんまりあわれな表現だったので、かなしくて忘れてしまいました。最近になって、保育園の遊びで順番待ちをするのがつまらない、それで先生に怒られるからいや、と言ってきたことがありました。幼稚園が母体の保育園なので、以前のところよりも規則や順番が厳しいのです。私はうーん、そうかー、といってから「そのうち慣れるよ」と言いました。なんとなく、それが一番いいこたえのような気がしたからです。

その日の帰りのことです。担任の先生がやや興奮気味に、子どもがほかの子どもたちを拒絶しないで一緒にはじめて遊んだという報告をくださいました。これまでは一切、クラスメイトに挨拶されても返事もせず、一緒に遊ぶことも極力避けて逃げ回り、先生とだけ一緒にいたいという態度を隠しもしなかったのでした。それがついに、ほかの子どもの問いかけにこたえ一緒におもちゃを使ってやぐらを組みたてたというのでした。私はうーんとうなりました。子どもが引越しと転園でストレスを感じていたことを、このときはじめてちゃんとわかったからです。この四カ月が「あっという間」だったとは、私はこの先いつまでも言いたくない気持ちでいます。

ほんの数日前、子どもは朝の車の中で「今日は○○ちゃん泣かないからね」と宣言し、本当に泣かないで保育園の輪の中に入っていきました。そういうとき、喜びと、なぜか強烈な寂しさを味わうものだということも、私ははじめて学びました。



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夏の終わりのハーモニー:その2

先日豊洲ではじめてのレッスン、パフォーマンスを行い、その成功によってしばし喜びと放心状態に陥っておりました。しばしばインストラクターは緊張しないと思われているようでありますが、レッスン前のインストラクターはばりばりに緊張しております。皆さまが取引先にたいしてプレゼンをするのと同程度と考えてもらえればよいのではなかろうか。そこには会社の損益が、ボーナスが、かかっているとなれば当然のことでありましょうが、一番そこにかかっているのはなんといっても己のプライドでありましょう。人を喜ばせる、笑顔にすることが、もっとも手っ取り早くこのプライドを満たしてくれることはいうまでもなく、少なくとも私がサルサインストラクターをやっているのは、お笑い芸人が客席の爆笑の中毒になって二度とそれ以外の仕事ができないと感じるのと同じ理由であるように感じます。

そのような中、私が今もっとも深く湖の底にもぐって考えていることのひとつは、なんといってもパフォーマンスのことです。内容構成表現云々はいうまでもありませんが、そんなものは思考のうちのごくごく表面的なことというか、どうにでもなること、簡単なこと、楽しいだけのことにすぎません。私が深く深くもぐっては息継ぎのために浮上して、また深くもぐっていくのは、我々・・・仕事をし家庭を持ち、さまざまな活躍の場をすでに持っている我々が、さらにここへきて人前にたとうとする、何かを演じようとする、人に見てもらいたいと願う、この心理とは何かということなのです。

私が思うに、この問いにおそらく答えはありません。こたえを見つけたと思っても、その直後にそのこたえと思ったものが全き間違いであったと気づく、その繰り返しであろうと思うだけです。しかし、この「こたえはないとわかっていてもこたえを果てしなく追おうとする」という「態度」が、パフォーマンスに漂う匂いの質を決めるものであろうと私は確信しているのです。パフォーマンスなどというものは、本来選ばれしもの、おさなくしてそのような生活スタイルを選んだもの、選ばざるをえなかったものがやればよいのです。しかし我々はサルサを知ってしまった。そこで私は何かを作らずにはいられない。人間の形を使って音楽を見えるようにせずにはいられない。それは自分ひとりの力ではできない。悩む。そこへ、私と同じ理由か違う理由かはともかく、自らの体に鞭うって人前に恥をさらしてまでも何かをなしとげたいと思う人があらわれる。それが一人二人三人四人とあらわれる。そこで私は彼らの体を「借りる」。そしてそれが躍動するにはどうすればいいのか、どういう訓練が必要なのかを「吹き込む」。すると彼らは、それがどういう理由かはともかく、私を「信じる」。そして「演じる」。その目的が自己顕示欲と呼んでいいものなのかどうか、私にはわからない。私もふくめてそれはたしかにそうなのだろうが、いえるのは、どのメンバーも「そうでない楽しみ方もあるのではないか」という迷いを「周囲に感じさせる」年齢と人生経験をすでに有しているということです。私自身も、実はそうなのです。しかし、パフォーマンスの練習の時間に皆がみせる表情、いちずさ、会話や笑いのひとつひとつは、私にとってかけがえのないものであり、私にとってかけがえがないということは彼らにとってもおそらくそうなのだろうと、私は「信じる」しかないのです。これが信じられなくなったとき、そのチームは使命を終えたということになるのでしょう。



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