July 10, 2022
団子虫がもたらす波状攻撃
子どもがダンゴムシを持ってきて「飼う」と言い出した、というネタはネットや漫画の世界で定番です。
その定番が先週からうちにも起こりました。学校で、ダンゴムシを飼ってみようという課題が出されたのです。
やだよー、、、という親の躊躇を尻目に子どもは張り切っています。ニリットル入りペットボトルの空いたのに、力強くカッターをいれて、ダンゴムシ飼育容器を完成させました。これをみて、ため息とともに腹をくくりました。これはなかなかなことになるぞ、と。
配られたプリントには、土を三センチ、あとはとってきたダンゴムシをいれよう、エサは落ち葉や野菜くず、煮干しとあります。
公園にダンゴムシをとりにいった子どもは、二年上の男子たちにいじられてケンカになり、しょんぼり帰ってきました。「・・・行かなければよかった。」の顔に涙と無念がにじんでいます。まずこの、公園に一人で行くというのが容易ではないのです。
そこで私は、家の庭にとっておきダンゴムシスポットがあることを教えました。私が草むしりした葉をさしあたりまとめているところです。その小山を持ち上げると、いるわいるわ、さながらダンゴムシのサルサカリベ状態です。宝物はすぐそばにあるのです、大抵。
子どもの顔が輝きます。二人でそのあたりの土をペットボトルにいれ、ダンゴムシをシャベルですくって数匹。あとは小石に枯葉に、彩りに海で拾った貝殻もいれました。
子どもはダンゴムシに「ゲンちゃん」「ゲンくん」と名前をつけ、朝に夕にペットボトルを覗いています。家にいれたがる子どもと、それだけは阻止したい私の攻防戦の始まりです。
なんとか外飼いすることは認めてくれたものの、今度は置き場でひと悶着。学校の生き帰りに見やすく、風通しもよく、、、などとあれこれ試している間に、数日でひからびた一匹を見つけました。
これではダメだ。危機感が私を襲います。いつのまに、私がはまっていたのです。ダンゴムシ飼育に。
さらに2日たって、ペットボトル容器を覗いてもあのまるまっちい姿が全く見られなくなりました。さらに、涼しいと思っていた軒下の縁側が、私の不在の間の時間帯にはカンカン照りの日差しに照らされていたこともわかりました。
「・・・ゲンちゃんもゲンくんもいないんだよね」。私が告げると、学校から帰った子どもは台所に座り込んでポロポロ泣きだしました。その深い悲しみは、相手が虫だろうが人だろうが関係ないことを如実に語っています。
とはいえ死骸はまだ見つかっていない。私は望みをかけてなのか意地なのか、真剣にネット検索しました。簡単といわれているダンゴムシの飼育がいま目の前で失敗しようとしている。何がいけないのか。
ここで得た最大の成果は「ダンゴムシは夜行性」という情報です。子どもが起きている時間にはダンゴムシは出てこない、というどなたかの記事に、私はダンゴムシより先に息をふきかえしました。
そして、広葉樹の落ち葉のカビのはえたのがいいという動画も見ました。針葉樹のはダメだといいます。乾いた大ぶりの葉っぱも、様子を見るに、隠れ場としてはよいもののエサとしてはだめだとわかりました。どうやら腐りかけのしなしなしたやつがいいようです。
好物という煮干しにはあまり食べられた跡がありません。レタス、しいたけ、チーズの切れ端をいれても見ましたが、半日たったらアリの大群ができていたのでこれも撤去。
腐った広葉樹の落ち葉。日陰などという生半可なところではなく、ほぼ真っ暗な藪の中に埋めるようにペットボトルを置く。あとは朝晩忘れず水分をふりかける。
そしてその夜九時半。ペットボトルを家にもちこんで、懐中電灯で照らしてみると。丸々した三匹がモゴモゴ元気に動き回っているのを一週間ぶりに発見したのです。
「良かったーーー!!!」と叫んだのは子どもも私も一緒です。小さな虫であっても、自分の無知のせいで死ぬところを目の当たりにするのはかくもつらいものだということを知りました。
週明けにゲンちゃんゲンくんを学校に持っていくのだそうです。子どもが晴れ晴れとこの体験を発表できるのなら、こんなに嬉しいことはありません。公園で一匹も見つけられずケンカにも負けて帰ってきたときから見れば、なんという成長でしょう。
私のほうはといえば、週明けにこっそり新しいダンゴムシをペットボトルに入れておくという卑怯な手を使わないですむことに、いつにない安堵を覚えています。
今日は久しぶりのレッスンです。ダンゴムシの命と比ぶれば、サルサのなんという平和なことよ、、、。髪型も変えたことだし、原宿の街と生徒さんとの再会を満喫したいと思います。
その定番が先週からうちにも起こりました。学校で、ダンゴムシを飼ってみようという課題が出されたのです。
やだよー、、、という親の躊躇を尻目に子どもは張り切っています。ニリットル入りペットボトルの空いたのに、力強くカッターをいれて、ダンゴムシ飼育容器を完成させました。これをみて、ため息とともに腹をくくりました。これはなかなかなことになるぞ、と。
配られたプリントには、土を三センチ、あとはとってきたダンゴムシをいれよう、エサは落ち葉や野菜くず、煮干しとあります。
公園にダンゴムシをとりにいった子どもは、二年上の男子たちにいじられてケンカになり、しょんぼり帰ってきました。「・・・行かなければよかった。」の顔に涙と無念がにじんでいます。まずこの、公園に一人で行くというのが容易ではないのです。
そこで私は、家の庭にとっておきダンゴムシスポットがあることを教えました。私が草むしりした葉をさしあたりまとめているところです。その小山を持ち上げると、いるわいるわ、さながらダンゴムシのサルサカリベ状態です。宝物はすぐそばにあるのです、大抵。
子どもの顔が輝きます。二人でそのあたりの土をペットボトルにいれ、ダンゴムシをシャベルですくって数匹。あとは小石に枯葉に、彩りに海で拾った貝殻もいれました。
子どもはダンゴムシに「ゲンちゃん」「ゲンくん」と名前をつけ、朝に夕にペットボトルを覗いています。家にいれたがる子どもと、それだけは阻止したい私の攻防戦の始まりです。
なんとか外飼いすることは認めてくれたものの、今度は置き場でひと悶着。学校の生き帰りに見やすく、風通しもよく、、、などとあれこれ試している間に、数日でひからびた一匹を見つけました。
これではダメだ。危機感が私を襲います。いつのまに、私がはまっていたのです。ダンゴムシ飼育に。
さらに2日たって、ペットボトル容器を覗いてもあのまるまっちい姿が全く見られなくなりました。さらに、涼しいと思っていた軒下の縁側が、私の不在の間の時間帯にはカンカン照りの日差しに照らされていたこともわかりました。
「・・・ゲンちゃんもゲンくんもいないんだよね」。私が告げると、学校から帰った子どもは台所に座り込んでポロポロ泣きだしました。その深い悲しみは、相手が虫だろうが人だろうが関係ないことを如実に語っています。
とはいえ死骸はまだ見つかっていない。私は望みをかけてなのか意地なのか、真剣にネット検索しました。簡単といわれているダンゴムシの飼育がいま目の前で失敗しようとしている。何がいけないのか。
ここで得た最大の成果は「ダンゴムシは夜行性」という情報です。子どもが起きている時間にはダンゴムシは出てこない、というどなたかの記事に、私はダンゴムシより先に息をふきかえしました。
そして、広葉樹の落ち葉のカビのはえたのがいいという動画も見ました。針葉樹のはダメだといいます。乾いた大ぶりの葉っぱも、様子を見るに、隠れ場としてはよいもののエサとしてはだめだとわかりました。どうやら腐りかけのしなしなしたやつがいいようです。
好物という煮干しにはあまり食べられた跡がありません。レタス、しいたけ、チーズの切れ端をいれても見ましたが、半日たったらアリの大群ができていたのでこれも撤去。
腐った広葉樹の落ち葉。日陰などという生半可なところではなく、ほぼ真っ暗な藪の中に埋めるようにペットボトルを置く。あとは朝晩忘れず水分をふりかける。
そしてその夜九時半。ペットボトルを家にもちこんで、懐中電灯で照らしてみると。丸々した三匹がモゴモゴ元気に動き回っているのを一週間ぶりに発見したのです。
「良かったーーー!!!」と叫んだのは子どもも私も一緒です。小さな虫であっても、自分の無知のせいで死ぬところを目の当たりにするのはかくもつらいものだということを知りました。
週明けにゲンちゃんゲンくんを学校に持っていくのだそうです。子どもが晴れ晴れとこの体験を発表できるのなら、こんなに嬉しいことはありません。公園で一匹も見つけられずケンカにも負けて帰ってきたときから見れば、なんという成長でしょう。
私のほうはといえば、週明けにこっそり新しいダンゴムシをペットボトルに入れておくという卑怯な手を使わないですむことに、いつにない安堵を覚えています。
今日は久しぶりのレッスンです。ダンゴムシの命と比ぶれば、サルサのなんという平和なことよ、、、。髪型も変えたことだし、原宿の街と生徒さんとの再会を満喫したいと思います。
salsaconsul at 06:16│Comments(0)│■SALSA FRESCA泣き笑い