January 04, 2018

仕事始めです。皆さまファイト!!

今日から仕事初めのかた、お疲れ様です。
おはようございます。
私も今日から、いつもの毎日に戻ります。
朝、お雑煮を作るのでなく餅を焼くのでなく、ポットに紅茶をいれる日常が戻ってきました。
今朝も寒いですね。出勤する方はどうぞあたたかく。

年末に一日中掃除をし、年始に寺社仏閣を詣でることの心地よさありがたさが、今年ようやくわかるようになりました。一年の計という言葉の意味が身に沁みます。どのようなことがあったとしても、お正月があるから心身をリセットできる。ずっと連絡をしていなかった人にも、このときだけは不自然さを感じさせることなく挨拶することができます。これはとてもよくできたあり方だなあと実感しています。

クリスマスもお正月も、何もないのが一番などと先日書きましたが、そうはいってもお正月というのは、一年の中でほとんど唯一「恥ずかしさ」を感じることなく祝える行事であるのは間違いありません。理由は間違いなく、親がこの行事だけは重んじていたためでしょう。そしてその理由もまた、間違いなくそのまた親が重んじていたからに違いありません。

ここ、千葉の田舎に引っ越してから、子どもの送り迎えの合間合間を縫って地域の歴史に触れるようにつとめています。かつての生活の地盤は稲作にありました。私の住まいのすぐそばに、泥の田んぼに埋もれて亡くなった人々の塚がたっています。そんなに大昔のものではありません。また、江戸時代には殿様と臣下たちの暴政のために人々が餓死、離農を余儀なくされた壮絶な歴史もあります。ひとことで離農といっても、現代のように都会にいけばサービス業ができる時代ではありません。あてがわれた土地を離れることはほとんどそのまま死を意味したでありましょう。人々は食うや食わずで、この季節を何度も何度も乗り越えてきたのでありましょう。

千葉のような比較的温暖な土地でさえそのようであったのですから、いわんや何度も大飢饉に襲われた東北の冬、開拓時代の初年度には「屋根さえない」家に暮らしたといわれる北海道の冬はいかほどの恐怖であったことか。そのなかで、もしも雑煮や汁粉を一年でただの一度味わうことができるのが正月であるとすれば。正月は人々が「生きている」実感をかみしめ、全員がひとつ歳を重ねる、いうなれば命の行事であったに違いありません。

そのように理解することができるようになったことは、やはり周囲を田園に囲まれた環境に身をおいたためであろうと思います。私の思考の中心でありほぼすべてであったサルサは、この「生きることのすさまじさ」を実感できる大きな環境に包まれ、熟成しつつあります。もともとそのように思っていたことではありますが、改めて、私たちはサルサダンスなどという贅沢を堪能できる時代に生きているということを思います。その中で私のすべきこと、できることを、あらためて見つめていきたいと考えています。これが私の仕事始めの朝の気持ちです。

1/28(日)には恒例のお座敷借り切り宴会「ツボーチョ」を開催いたします。詳細はぽえまた主催のGinさんのブログをご覧ください。今回もがんばります!!皆さまふるってご列席くださいませ!!



salsaconsul at 07:34│Comments(0)■SALSA FRESCA泣き笑い 

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