June 25, 2017

先日ぽえたまにご参加くださった皆様ありがとう

私は、春に千葉県の田舎に引っ越しをしました。
そのとき、もともと千葉の環境と県民性が好きだったこともあって生活環境がかわることはさほど気にしていなかったのですが、子どもがらみの手続きが膨大だったことと、資金面のことと、もちろん物量のことと、そういったもろもろのことがずっしりとのしかかってきまして、自覚はしないようにしていたものの非常に肉体的にきつかったのです。まず眠る時間が極端に少なかったです。
ぽえたまのある土曜日は、一番先に保育園をあけてもらって一番最後に迎えにいく、といった「立場的なストレス」もありました。もともと幼稚園だったそこは、土曜日に開園するということそのものがこの春はじめてのことで、何か「先生たちの一週間のスケジュール、ひいては労働環境を自分がダンスのためにかえてしまっている」ということを空気で感じ取って申し訳なさを背負いこんでいるようなところがありました。私はそういう空気的なものをどうしても無視できないタイプで、かつそういうのが一番こたえます。
現在は私と子どもがついたときにはすでにほかの子どもたちが何人かいるような、かつ私が迎えにいったときに最後のもう一人と一緒に帰るような状況に落ち着いてきました。また、どうすれば最短の時間とエネルギーで行き来ができるかというパターン構成もできるようになりました。
土曜日はお弁当を作らねばならないというのも、引っ越ししてからの急激な変化にあたります。外国のように、栄養価の高い黒パンにチーズをはさめばいいというわけにもいかず、生来真面目な私は煮物焼き物酢の物とどうしてもひとおおり揃えないと気が済まず、木曜日に材料を集め金曜日の深夜に仕込みをはじめる、といったこともしておりました。たかが弁当ですが、実際にいま、子どもが土曜日の朝にリュックに弁当をいれて「ぽんぽん」と二回、まるで中に赤子でもいるかのようにいとおしそうに、むちむちした手でたたく様子をみていると、たかが弁当と捨て置けない「意味」を読んでしまいます。毎日かなりの距離を車で送り迎えしていますので、通常は夕食といってもラーメンだけ、ご飯と味噌汁と焼き魚でせいいっぱい、それでも子供はつまらないからといって食べてくれない、そんな日々です。そのような中で、土曜日に持たせる弁当だけは必ず手の込んだものを持たせてやりたいですし、実際子どもはその弁当を残してきたことがありません。おそらく、「いえの和食」というもののよさを子どもはこの弁当でもって記憶に落とし込んでいくんだろうと思います。
ぽえたまではパフォーマンスを二回、土曜日にやらせていただきました。そのときは前日も遅くまで練習していますし、朝の10時からリハーサルをしているわけですが、そのときにも暗いうちから弁当を作っています。練習場所も実際の場所も都心ですし、子どもの送り迎えもありますので、睡眠時間は2時間か3時間程度です。パフォーマンスには表の戦いと裏の戦いと、二種あるわけです。そしてそれはメンバーも同じですし、そのほかのチームでもそうです。
ダンスという夢のような仕事をさせていただいているわけですし、子どもという愛嬌のある生き物を預かっていることもまたありがたいことなので、このしんどさも含めて私は幸せなんですけれども、しわよせがどこにいくかといえば、「口がきけなくなる」というのがそれにあたります。しんどすぎて、レッスンの前後の声がでなくなってくるのです。そうすると生徒さんとの交流がどうしてもうすくなります。レッスンのまえやあとにかわすちょっとした言葉が、どれだけ生徒さんにとって励みになるかということを、私は海外のレッスンのとき非常に強く感じました。インストラクターがフランクで、公平で、明るいということはレッスン場におけるまさに救いというか、「神対応」というものが確かにあります。私はそれを自然な形でやろうといつも思っていますが、それが行動に移せない時期があったとすれば今年の前半がそうだったかもしれません。かえりの電車に間に合うのかどうか(保育園の迎えに間に合わないということがどれほど日本のおかあさんの心を病ませているかということは、ちょっとなかなか説明しにくいというか、男性には本当に、この件を「日本の女性の生きにくさ」の筆頭にあたることと理解して、髪を振り乱している私たちを愛してほしいです。何より半分背負ってほしいです。本当にそう願います。)気が気でない状況で生徒さんと楽しくお話をするというのはなかなか、難儀なことでした。
しかしようやく昨日のぽえたまでもって、私はこの暗黒時代から少なくとも片足は引き抜けたような気がしました。みなさんとお話できるようになりました。それが本当にうれしかったです。そして皆さまからいただいた笑顔からたくさん力をうけとりました。
真っ只中にいるときには自らの状況を客観的にみつめることができないものです。それに、パソコンに向かうこと自体ができないものです。昨日今日はそれができました。私はサルサという未知のダンスに挑むことが本当に好きです。最近、ますます好きになってきました。私は私自身の体やテクニックに対してとても大きな不満があります。いいぞいいぞと思って踊っているわけではありません。くやしいくやしいと思いながら踊っています。ちくしょうと思いながら踊っています。このことが、みなさんがもし少しやる気がでないとき、元気がでないとき、練習に再びいどむ力の源になればいいのですが。


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