July 29, 2016

・・・なんてこったい

土曜、日曜とぽえたま、中目黒で踊り狂ったうえにその夜は
Kzとのパフォ錬。きびしい。きびしい。よる年波にきびしい。
サルサのほかにできることがないがゆえにサルサをしている
自分ですらこのスケジュールはきびしい。
この「おどってないとしんでしまうまぐろ」的な態度をもうそろ
そろ改めないといけない年頃なんだろうか。
どうなんだろう。なやむ。

でもってこの体のふしぶしというか、体の全部がつねに痛い
状態のところにもってきて、子どもがいうことをきかない。
路上で座り込む。歯磨きを拒否って家中走り回る。自販機の
前でジュースを買えと大泣きする。着替えがいやだおむつを
かえるのがいやだアイスクリームたべるケーキたべるあれが
いやだこれをよこせかまえあそべほんをよめ。
ほんとうにもうどうにもならない。
かーちゃんはねむいんだよう・・・・・えーんえーん。
私のあたまの中にある夕食をつくってくれるアシモがほしいよう。

でもって・・・今度の相模原の事件は・・・もう、茫然として
しまって、いろんなことが遅々としてはかどらない。
というか気持ちがもう前にいってくれない。
なんていうことだ。
あんまりな事件である上にもう一つ。
あの言葉がよみがえる。
「自分は悪いことはひとつもしていないといいきれる人は
彼女に石を投げなさい。」
そうだよ、私だって石は投げられないんだよ・・・。
今日だって、電車の中でずうっと何かをお話ししている人の
隣に腰かけることができなかった。

異なるもの、わからないものを遠ざけ疎んじる気持ちは人間
ならだれにでもある。
でもそれをどうやって乗り越えていくかにその人の尊さがある。
その「乗り越えていくところ」の入り口にまったくたどりつけ
なかった犯人。
誰だって、一生のうちのどこかで人の手を借りずには生きて
いけない状況におちいる。
この「誰だって」のところが犯人には想像できなかった。
自らが生まれたときのこと、自らが病におかされること、いつ
か歳をとって人の手なくしては一日も生き延びていけなくなる
ことが想像できなかった。

二十代は健康であるがゆえに他人に対して残酷になりやすい。
ほかの人間あっての自分だということがなかなか理解できない
年齢だ。
それでもどうにかして十年、二十年と時を重ねるうちに、
わかってくる。
人のあたたかさ、ありがたさ、自らの力のなさ。
それがわかったときにふと肩の力が抜けて、生きるのが楽に
なる。
犯人はそのずっと手前で、真っ黒な穴に吸い込まれたのだろう。
そのときあまりの寂しさにだれかを巻き添えにしたくなったのだろう。
私には、犯人のその歪んださびしさゆがんだ孤独が、
他人事とは思えない。

でももし自分の子どもがその巻き添えにされたらね、
そのときは、そのときは・・・自分はいったい、どんな尊厳を
みせることがきるというんだろう?
ご家族のことを思うと、いろいろなことが頓挫してしまう。

それでも毎日は続く。サルサも続く。
下北沢Urban Beat Syndicateの開催は明日です。
このイベントのフェイスブックページが立ち上がりました。
ご支持をいただけたら幸いです。

こんなときにこんなことを書くのもゆっくりゆっくりゆっくりしかできない。
けれどもそれでも、生きていかなきゃいけないんだよね。
私にとって生きていくってことはこれ、この記事を書いて、
明日を素晴らしい一日にすることだからさ。
みんなもさ、そうだよね。
なんとかして明日を素晴らしい一日にしたいと思って、床につくよねえ。





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この記事へのコメント

3. Posted by RIO   July 31, 2016 09:35
いやーこれ、笑いました!「勝手お題」いいねいいねーーー
2. Posted by 明日があるさ!   July 29, 2016 17:41
今日は良い1日だった、と思って床につきます。
1. Posted by インマルティーニ   July 29, 2016 17:20
明日は明日の風が吹く。と思って床につきます。。

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