March 12, 2013

震災三年目に寄せて

赤坂ナイトクラブ

















不況・津波・原発に試された二年でした。
日本人の心境に大きな変化がありました。たくましくなったのではないでしょうか。思いを行動に移すようにもなりました。

震災デイであった昨日、赤坂にあったナイトクラブ・ニューラテンクオーターに関する本を二冊読みました。

ラテンクオーターはニューヨークに現存するクラブの店名でもあり、当地で水曜夜のイベント欄にLQと表示されています。語源は学生街で文化活動が盛んなことから「芸術の街」の代名詞となっているパリのカルチエ・ラタンの英訳です。

赤坂ニューラテンクオーター(上述のニューヨークのクラブとは無関係)には世界から一流のエンターテイナーと財界芸能界政界球界に角界、なんと皇族からも人が集ったとか。

ホテルニュージャパンの火災をきっかけに経営が傾き、乃木坂に店名を変えて移転し、現在はもう存在しません。しかし読んだところ、経営難は火災だけが直接の原因ではありません。

ナイトクラブが存続しえなくなった最大の理由は、数百人を対象にして顔と息遣いの見える音楽をやるよりも、数万人を集めてスタジアムでやるほうがずっとお金になるからでした。良質の環境で良質の音楽を提供しようとしても、時代がそれを許さないのでした。

サンフランシスコのフィルモアでも赤坂のニューラテンクオーターでも全く同じことが起こりました。世界中のナイトクラブでおそらく同じことが同時期に起こっていたことでしょう。ロックの商業化が音楽のあり方を根本的に変えてしまったのです。

聴いていて心洗われるような、高貴で澄んだ気持ちになるような曲を、あるいはそういう曲のきける環境を、持っていますか。確かな演奏を聴かされて思わずうなり声が出る。そんな音楽の聞き方はもうできないのでしょうか。音楽にはよい聞き手がどうしても必要なのです。

『赤坂ナイトクラブの光と影』諸岡寛司著/2003.2講談社 あとがきから抜粋します。

「ニューラテン」を愛した紳士たちは、最近のリーダー層や中堅どころに比べて考えると、皆が皆、素晴らしいパワーと躍動感の持ち主であったように思う。それはまた、この時代全体を覆う社会的エネルギーであったと思う。なぜなのだろうか。この著作にもいみじくもヒントがあるのだが、荒涼たる焼け野原から世界トップに登りつめることのできたエネルギーは、すべての日本国民が、それぞれの立場で戦争を体験した中で抱くこととなった、それぞれの「死生観」が基にあったことによるのではないのだろうか。戦地に赴いて戦火にまみえた人も、銃後にあって無差別爆撃に曝された人も、生と死の堺を共通して体験した。そして、戦地で戦友を失った人は、「一度死んだ身だ。あとは、あの戦友の分まで頑張ろう」と、また、空襲にあったり十分な栄養や医療が得られなくて、父母や子や兄弟姉妹を亡くした人は、「亡くなった肉親に喜んでもらえるように、立派に生きよう。子供を立派に育てよう」などと、人真似ではない、それぞれの体験から得られたそれぞれの死生観に根づいたそれぞれの確乎たる人生観こそ、戦後日本の復興から高度成長までのエネルギーとなったのではないか。だから、誰もが強い好奇心、吸収力、評価眼などを持っていた。社会の先端に見えてくるものを見出すのは、当時は大人であって子供や若者ではなかった。 
                    初代内閣広報官 宮脇磊介


今現在の私たちに力をくれる言葉だと思います。皆様はこの二年、どのように生きてこられましたか。どのように生きていかれますか。お話しくださいね。

今晩はOn2初中級レッスン新シリーズをスタートします。それではお会いできる方は後ほど。




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