January 28, 2013

岡本郁生さんの講演会で名作に出会う

BILLGRAHAM 001



『ビル・グレアム ロックを創った男』

ビル・グレアム/ロバート・グリーン
フィールド共著 奥田祐士訳 
1994.5 大栄出版



二週間くらい前だったろうか。自分には古典が足りてないんだと飢餓感を覚えた時期があった。何を読んでも何をやってもやらなくても満たされた感じがしない。別にさぼってるわけじゃない。時間を丁寧に使ってはいるのにそういう空虚な感じから逃れられなかった。

そのときにふと、音楽でも文学でも毎日の生活にクラシックが足りていないせいなんだと直感的に感じた瞬間があった。

テレビによい番組はある。新聞も面白い。欲しい情報はネットで入手できる。でも古典がもたらしてくれるあの深い充足感は人生の「重し」としてどうしても必要。文学や音楽や芸術の一つも語れないパーティーなんて。

そんな中久しぶりに名作に出会った。

先日、ラテン音楽界の重鎮であらせられる岡本郁生さんが四谷のジャズ喫茶いーぐるで『1968年にどんな音楽が流れていたか』という講演を行った。

69年がウッドストックの年だからロック&ヒッピームーブメント噴火直前にあたる。

ワタシは80年代にポップスにはまったありがちな中高生だったから、ロックの全盛期をリアルタイムでは知らない。それでも学生時代にピンク・フロイドの『グリーン・イズ・ザ・カラー』を友人の別荘で発掘して(これは父君の持ち物だった)以来、「グリーン・イズ・ザ・カラー的かどうか」が好き嫌いの判断基準だった時期が長かったり、『天国への階段』があんまり美しいので思わず引きこもったりして、ロックには本当に大きな影響を受けた。ラテンを愛する土台はポップスよりむしろロックで培われたように思う。

それもそのはずで、ロックが熱狂的人気を博していった時期とサルサが成立していった時期というのは全く同時期、つまり60年代後半から70年代にかけてのことなのだ。

『1968年にどんな音楽が流れていたか』は音楽史の中でも象徴的である68年のヒット曲をジャンルを超えて輪切り的にきいてみようという会。音もよいし選曲もよいし伊藤嘉章さん(プエルトリコ音楽の生き字引。3月の東京カフェ・サルサのゲストにお呼びしている)との掛け合いもこなれていて楽しかった。いーぐるの「お金のあるお友達のうちの親が今日留守だから居間で好きにオーディオ触らせてもらってる」みたいな感じもどこか懐かしい。

1970年前後は「なぜ音楽をやるのか」の理由がミュージシャンの間でも聞く側でも共通していた。延々と終わらないベトナム戦争があって、なんだかわけのわからない理由で殺したり殺されたりするのはまっぴらごめんだ、自由に好きにさせてくれという爆発的エネルギーが名作を生んだと思う。

そんな時代の空気感が直にわかる本を講演会で紹介いただいた。それが冒頭の写真。

ビル・グレアムは「ロック界のゴッドファーザー」と呼ばれていたとか。目次をざっとチェックすると大物ロッカーが次々に登場してくるし、訳のテンポもいい。これは面白くないわけがないと思ったけれど、実際読み始めてみたら想像と違った。

彼は子供時代ナチスの迫害を受けてヨーロッパから流れてきた。家族が散り散りになる様、その後引き受け手がなかなか見つからない過程を克明に記録したつらい描写が続く。それがその後の彼の人生の理由になるから痛ましくても容赦しない。

彼はラテン音楽が大好きでマンボ全盛期の50年代にパラディウムに入り浸ってもいた。ユダヤ人とラテン人が非常に近しいところにいたことがありありと記録されている。彼のことが好きな人も嫌いな人もありのままを語る。悩み苦しみ一生懸命生きる人間、時代が変わっても場所が変わっても本質的には少しも変わることのない人間達が、自分の生きる道を求めてひしめいているのだった。

求めていたものが見つかってなんだかとっても嬉しいなという話でした。




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