May 28, 2012

マイケルの理由

こんばんは。今日の新宿も楽しかったです。このごろ生徒の皆さんに会うのが面白くて毎回出勤するのが楽しみです。今年はいい年ですね。特にこの5月の気候のよさはどうしたことなんでしょうか。昨年は大変なことがたくさんあった年だったからそのぶん優しくされているのかなあと勘違いしてしまいそうです。非科学的もいいとこなんだけれど。

さて、ここのところは本当に全部が練習の日々です。通常レッスンをやってカラクってKzさんと練習して6/30海の家のパフォーマンス練習もやっていますので、結果的にサルサしかない毎日を送っています。ここまでの状況はふりかえってみてもあまりなかっただろうかな。レッスンが週五回とか六回というのはありましたが、パフォーマンスというなんというか「考える」「作る」に加えて「記録に残す」「積み上げていく」の繰り返しが生活の大部分を締めている現在の状況は確かにこれがはじめてだろうと思います。昨日かおとついかな、そのことをものすごく類稀な時期だと実感していました。こういう生活は人生の中でごくごくわずかな時期にしかできないことで、それが許されるこの一週間、この一ヶ月を宝物をいつくしむように毎日大事にすごそう、肉体的にしんどいということはこの場合本当に小さなことで、健康で、周囲の理解が得られて、そして発表と皆さんとの出会いの場が与えられているということ、この幸運を自覚してただただ打ち込もう、というふうに感じています。

横浜サルサコンテストは今回が三回目の出演になりますが、ワタシにとってイベントというもの、パフォーマンスというものに関する考え方を根本から変えてくれた非常に意味のある年中行事です。というのも主催のセサールさんがはじめてこのイベントにワタシを呼んでくださったときに「レベルよりも大事なのはサルサがはじめての方でも楽しめて思い出ができるかどうかだ」とおっしゃったからです。これはどちらかいうと完璧主義に近かったかつての自分のものの考え方をひっくり返すほどの強烈なインパクトをもっていました。この言葉を実践することは、「レベルの高いものでないとステージにはあげないよ」という方針よりもとてつもなく難しいことであるということがその段階でわかっていたような気がしましたが、当時、つまり三年前よりも今のほうが、その重みははるかに深く感じられるのですね。もちろん、そこに集まる誰もがそれぞれの最高の作品をもって集まろうとします。しかしそこにおもいきったギャグであるとか、激しい失敗であるとか、おいおいって作品が出てきたとしても、それは横浜では「アリ」なんですね。全て「人間の多様性」として許されるということがわかっています。だから、完成度の高いものも、大きく外した場合でも、どっちも同じだけのウェイトをもって評価されるのです。「それぞれに事情があるのだ」ということが横浜サルサコンテストのおそらく核としてあるのです。今年はどんなサプライズや笑いや感動が待っているのでしょうか。本当に楽しみです。

話は変わりますが、やっぱり読書が一番の息抜きです。サルサで創作脳を酷使するので、違う角度から知恵や気付きを与えてもらえるのがすごく救いになります。これまでは女優・俳優の自伝をずっと読んできて、彼らがいかにして夢と現実の折り合いをつけているのかをよく注意して読ませてもらい、それに失敗して命を縮めた人と、どこかでその限界に気付いて現実の世界に根ざす生き方にシフトした人との違いはどこにあったのかをみてきました。それぞれに壮絶ですが、やはりサバイバルした人がいかにして苦しい時期をのりきったかを知ることは深い感動と共感をよびおこすものです。いうまでもなくダンスも、夢と現実の折り合いをつけることに失敗すれば人生を滅ぼすほどの破壊力をひめた「取り扱い注意」の劇薬です。しかし適切に扱えばバランスのとれた身体、友人の輪、音楽と民族の多様性に関する理解、それに語学の勉強にもなり、そしておそらく、会社どっぷりの単一的生き方から、多面的に自分の人生をとらえる客観性を身に着けることもできる素晴らしい学校でもあるのです。だから、サルサを幸福の道具として大切に適切に取り扱っていきたいし、そうでなければ自分の仕事をしたとはいえないと思ったりもするのですね。

さて、ダンスを踊る人なら誰でもマイケル・ジャクソンを愛さずにはいられないでしょう。全てのダンサーの原点であり憧れであり、唯一無二の存在。その彼について長年語られてきた疑問・・・「どうしてスリラーのときのあの彼の顔ではいけなかったの?」という痛切な想いがみんなにあります。あんなに美しくてスラリとしていて、そこにどんな手術や移植が必要だったのかだれにもわからなかった。ワタシもその一人でした。でも昨晩、その答えがとうとうわかりました。これはアルモブッレ・スマナサーラさんという初期仏教の長老が書いている『怒らないこと』というベストセラーがありまして、そのシリーズの第二巻『怒らないこと・2』にマイケルのことが触れられていたことがきっかけでした。そこではマイケルのブダペストでのツアーの模様を見て、あまりの完璧さに思わず最後まで見てしまった、ということが書かれており、あの3時間の準備のために3年の準備を要し、でもそれを見たお客さんはけしてその繰り返しでは満足しないこと、さらに「もっともっと」と刺激を要求すること、それにこたえなくてはいけない人生とはどのようなものであるかということが淡々と分析されています。周囲の要求に完璧にこたえる生きかたは結果として自分で自分を殺すことになるのだ、なぜなら彼はアイドルであり人に怒りをぶつけることができない立場だから、怒りは自分の内部にむかうしかない。それが自分の命を焼いてしまうのだということになるというのです。

ワタシはこれを読んで、早速マイケルのブダペストのコンサートの映像を見てみました。完璧を求めるマイケルの姿を確認するために。

そしてそこで見た

一曲を終えてスポットライトの灯りがだんだん暗くなっていったとき、一番最後まで暗闇に浮かび上がっているのはマイケルの透き通るように真っ白な顔であった、という衝撃。

マイケルのステージでは、最後の最後の残像はマイケルの顔でなくてはならなかったのでした。お客さんの目に最後に残る残像はバックダンサーの白人の誰かの顔であってはけしてならないのです。なぜならここはマイケルのコンサートだからです。したがってマイケルは、光をもっとも最後まで捉え続けることのできる骨格と皮膚を手に入れる必要があったというわけだったのです。

マイケルは現実ではなく、ステージに焦点をあわせて自分の肉体を改造していたのでした。だから日中彼の顔が白すぎても、顔立ちがもとの彼とあまりにも違いすぎても、それは問題ではないのです。彼はただ、ステージのためだけに全てをなげうっていたのでした。

それがわかった瞬間、ああマイケルはそういうことだったんだ、そういうことならわかるよ、あんなに真っ白くならなくちゃいけない理由がわかるよ、と本当に彼に伝えられたらどんなにいいだろうと思わずにはいられませんでした。

(※その後、マイケルは尋常性白斑という皮膚病にかかっていたというご指摘をいただきました。事実をよく見なくてはいけないですね。反省しないと。

こんなにもたくさんの名曲とビデオクリップを残して彼は死んでしまいました。完璧を求めすぎることがどのような結果を招くかを、アルモブッレ・スマナサーラ長老は深く理解し、生きかたをよく考えるように説いています。そのうえで自分の仕事は誰にも文句がいえないくらい全力でやれ、とも。このような智慧がこの世にはすでに存在しているのですから、やはり少しずつでも真摯に学び、この人生を全力で生きてみようと思います。


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この記事へのコメント

4. Posted by RIO   June 01, 2012 00:37
おかげさまで、本当のことに加えてよい気付きまでも頂戴しました。ご指摘いただけたこと、重ねて御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
3. Posted by ひよこ   May 30, 2012 22:47
白斑のことを記事に追加して下さってありがとうございます。
いまだにマイケルのことを誤解されている方も多く、少しでも彼の真実の姿を伝えたくてコメントを入れさせていただきました。
2. Posted by RIO   May 30, 2012 14:26
そうでしたか、そうでしたか。ご指摘をいただいて改めて彼についての情報を読み直しました。記事にはいただいたコメントの内容を加えさせていただきますね。ひよこさん、ご指摘誠にありがとうございました。
1. Posted by ひよこ   May 29, 2012 23:21
マイケルの肌が白くなったのは”白斑”という
病気によるものであり自ら白くしたのではありません。

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