May 07, 2012

出てってちゃうだい

ジョディ・フォスターはとんでもなく頭がよく同時に精神のタフな人で、ロミー・シュナイダーは「神はその人に背負えるだけの試練を与える」という格言をちょっと疑いたくなるほど荷物を与えられすぎたことがわかった。

実の父は幼いころに家庭を去り、継父にはベッドインを迫られるは、その継父に出演料を持っていかれるは、アラン・ドロンと大恋愛して祖国を去ったのにそのドロンにドロンされるは、次の恋人とは結婚し息子を設けるもののあっという間に不仲になりその離婚にあたっては持ち物一個一個の取り分を決めなくてはいけないという悲喜劇がおこり、さらに次の恋人(結婚もした)はドロンそっくりの色男だったけれど、ロミーを強迫して収入の大部分をもっていってしまったと疑われている。この結婚相手とうまくいかなくってからロミーの精神は急速に病んでいき(・・・当然と思われる)、一人目の結婚相手が首吊り自殺、二年後に息子が祖父母の家に帰宅したら誰もいなかったので塀をよじ登って家に入ろうとしたら滑り落ちて柵の上にとりつけられていた槍(海外によくあるあれ)に串刺しにされて死亡。そのときにはロミーの心を支えることのできる男性が現れていたが、彼の献身の甲斐なくロミーは薬物とアルコールにむしばまれて亡くなるのだった。『ロミー・シュナイダー事件』(ミヒャエル・ユルクス著/平野 卿子 集英社)というこの本は、一人の人間におこりうるありとあらゆる不幸の総決算みたいなもので読んでいて具合が悪くなること請合いだけど、なお傑作なんだ。作者は「人間・ロミー」にではなく、「収入源・ロミー」にくいついた男たちへの限りない怒りをこめてこの作品を書いたと思う。ロミー・シュナイダーはドイツ出身だが本国よりもフランスでその美と才能を開花させ受け入れられ、六十本の映画に出演し、若くして亡くなった。

というわけで感情移入しやすい自分はこの本が名作であるだけにとっぷり落ち込んだわけだけれども、幸い次の名作はとびきり明るいやつだった。こちらはもう何年も前だけれども大ヒットしたことが記憶にしっかり残っている、マイケル・J・フォックスの『ラッキー・マン』。読み出して数行でこの人のすごさにノックアウトされてこのブログを書き始めたというわけ。引用するよ。

その日の昼過ぎ、ぼくのトレーラーに来客があった。ぼくが一度も会ったことのない男性だった。マイケル・ケイトン-ジョーンズはむさくるしい格好をしていた。これは誉め言葉だ。一九七八年ごろ、バンクーバーのアーツ・クラブ・シアターにあるトイレの壁の卑猥な落書きの中でみつけたちょっと気の利いた言葉「創造的なむさくるしさはくだらないこぎれいさよりいい」をぼくは信じているからだ。ぼくのトレーラーによろよろと入ってきたケイトン-ジョーンズは、汗を吹き出していた。丸い赤ら顔には無精髭が生えていて、だぶだぶで、ミスマッチの古着屋で買ったような服を着ていた。それが一九九○年の夏の流行だったわけだが、彼はそう思って着ていたのではないと思う。(『ラッキー・マン』マイケル・J・フォックス著/入江真佐子訳 ソフトバンクパブリッシング)

ワタシはこういう文章が本当に好きで、なんというか・・・震える。細部まで書いているのにそれがうるささのかわりにノリを生み出していて、読み手が見たことのない人間をありありと描写できる観察眼と筆力、ユーモア。マーティー・マクフライという役名であんなにも有名だった彼は、みんなの知るとおりパーキンソン病にかかって役者人生から身をひいた。そして彼はそのために自分のことを「ラッキーマン」と呼び、もしこの病気にかからない10年を選ばせてあげようという神様仏様が現れたら「出てけ」と即刻追い出せるという。

この「出てけ」という台詞を適切なときにはっきりといえるかどうかという能力こそ人が自分の人生の舵取りをできるかできないかのターニングポイントであり、できない場合は激流と他人に翻弄されることになり、また逆にそれが何歳であってもその重要性に気付くのに遅すぎることはないのだろう、と思われてならない。




トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
携帯にブログ更新を通知
出張・出演のお問い合わせ
RIO presentsSALSA FRESCA TOP
これまでの記事
記事検索