April 02, 2009

究極のかっこつけ

嘘のような大荒れのお天気でした。一転今日は日差しの質が
夏向けに変わりましたね。
今朝、ニューヨークで出会ったもっともニューヨーカーらしい人の
ことを思い出しました。
最終日、飛行機に乗れるかどうかわからない不安と闘いつつ大荷
物とともに超旧式エレベーターにがっこんと乗り込もうとしたら、朝
の7時前だというのに先客が下からあがってきてうわおっと驚いた
のですね。大仰に「びっくりした〜」というのは失礼ですからぐぐっと
姿勢を正して「HI!」といいました。おいらも(よく失敗はしますが)
基本はかっこつけですからね。先方は上の階の住人で、今スタバ
のコーヒーを買いにいってきたところでした。
外はまだ真っ暗ですよ。そして驚いたのは、その時間であっても
彼は昼日なかと全く同じ、めっちゃクリアな表情をしていたことなん
です。「あいやーこのエレベーター上に行くのね」といったら「ダイ
ジョブダイジョブ、上に行ったら次は降りるからさ、乗っとけば」と
実にいい感じなわけです。この手の会話を初対面の日本人同士
なかなかできないわけで、それがこの国のちょっとした寂しさをうん
でいるんだよな、とは皆さんもお思いではないでしょうか。

今になってもそのときの彼の印象の余韻が残っているんです。
あの明快さ、迷いのない感じはいったい何に由来しているんだろう?
朝の7時前にスタバのコーヒーを買うためだけに寒くて暗い表に出る
ことを厭わない、しかも全く眠さのかけらも感じさせない、あの感じ。
今思うと、あれは自分の人生を自分が完全にコントロールしている
人だけが持つ充実感によるのでしょう。目が覚めると、自分のしたい
仕事、自分の会いたい仲間が待っている。24時間を自分のために
使い切っている。そう思えるから朝が嬉しいのでしょう。
ニューヨーカーとは早口でしゃべる人々である、とはきいたことがあり
ますが、実際にそれ以上に何がどうなのかとはやはり行ってみないと
わかりにくかった。今は、ニューヨーカーの条件とはなんといっても
自己充足していることだろうというのはわかるような気がします。
プライドは高いが実に控えめである、とも感じます。たとえば自分の
カラダに自分でみとれる、なんていうのをとっても恥ずかしがるような
ムードがあります。ジョギングはしますよ、筋トレもしますよ、でもそれ
が何か?みたいな感覚ですね。いうなれば究極のかっこつけ集団と
いってもいいのかもしれません。そして同じかっこつけでも意外に着る
ものに凝らないあたり(既製品で十分満足する感覚)がイタリアなんか
と味わいが違うところなのかなと感じています。

さて、完全なる自己充足にいたるまでにはまだ程遠いおいらではあり
ますが、そんな中でも恵比寿レッスンの準備をしているとき特にこれ
が自分が人生の中でぜひとも実現したいと思っていた時間なんだなと
感じることができます。毎回発見と前進があり、それが一週間の起点
となってその後のすべてのレッスンを引き上げていくという。たとえば
昨日は両足を揃えたままでのスピンの練習で先週お尻に激しい筋肉
痛をおこしたのはどうしてだろう、ということを考えていたんですが、そ
うさせない練習方法をおそらく見つけられたと思うんです。
今日はソウル⇔ヒップホップ⇔ラップをクロスオーバーさせた曲に振り
付けをしてみました。タマシイまでぐいんぐいん躍らせてみせますともさ〜。





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