March 11, 2009

隠れ蓑

私がキューバに行ったのは1990年代後半のことです。
キューバという国は「大好き」という人と「ちょっとこわい」という人とに
くっきり二分されやすいところです。
いわばカストロさんが好きか嫌いかという点に集約されてくるのかも
しれません。
今でこそキューバはその文化の多様性から包括的にメディアに
とりあげられるようになりましたが、かつては政治的に「ちょっと
おかしい国」というイメージで報道される側面が強かったですからね。

そんな中いつでもどこでも「熱狂的なキューバファン」は存在しました。
「キューバには人種差別は存在しない。皆仲良くしている」と、私は
キューバ訪問前に断言されました。
当時の私は人種差別という言葉を何かほんのり漠然と聞き流して
いたように思います。
それよりも自分の面倒を自分でみることで精一杯だったのでしょう。

さて実際ハバナの街を歩いてみる(といっても気温は38度、日差しで
皮膚が燃え上がるようです)と、黒人と白人の子供たちが実に仲良く
広場できゃあきゃあと遊び興じています。
「なるほどこれはベネトンの広告みたいだわ」と私は感じたものです。
ベネトンは各人種とりまぜて平等に広告のモデルに使う企業の先駆的
存在でした。

「なるほどキューバに人種差別は存在しないのか」と少々納得して日々
ダンスとスペイン語(見事に忘れましたが大事なのは覚えていること
よりも一度やったことがあることなのです。負け惜しみでなく。必要な
ときに出してきて磨きなおせばいいんですから)の勉強に明け暮れて
いました。

帰国時、ハバナ市内で破格にリッチだった(これも滞在後半にかかっ
て各家庭を訪問したのちにわかったことです)ステイ先で、関係方々が
集まって、サヨナラ&こちらからのありがとうパーティーを開きました。

そのとき私が見たのは、白人は白人同士、黒人は黒人同士に見事に
分かれた食事どきの風景でした。現地のアジア系キューバ人も少なく
ともその場ではどちらかといえば白人側についていました。

「キューバに人種差別は存在しない」という言葉に大きな疑問符をつけ
て、私は帰国することになりました。

以来、あの光景は一体なんだったのだろうという疑念を抱きつつも安
易に答えを出してはならないと自戒してきました。
肌や髪の色の近い者同士、もっといえば「匂いの似た者同士」が
寄り添いやすいのは当然のことです。
あの光景はただそれだけのことだったと考えることもできます。
それは「差別」ともまたちょっと違うものだろう、と。
にしてもそこにいたのは伝統芸能を身につけた黒人ダンサーたち
でした。キューバでも尊敬されるべき存在である彼らでさえも白人や
アジア系から遠ざけられるという現場を目の当たりに見てしまった。
この「現実」をはっきりさせたいという気持ちがじくじくとくすぶり続け
ました。

それから現在にいたるまで10年以上が経過しました。
プエルトリコ系アメリカ人のホアン・フローレス教授が私の抱いた疑問
に対して長年取り組んでいることを知りました。
彼の言葉そのままではありませんが今わかる限りで要約すれば、
「『中南米の人々はどのみちみんな混血だから、人種差別は存在しえ
ない』という隠れ蓑がある。アフリカ系ラテン人(肌の黒いラテン人)は
(議論の)裂け目から落っことされてしまうのだ」という主張です。

私が見たものの正体はここにありました。
どうして子供のころはあんなに勉強が嫌いだったのでしょうか。
今からでも追いつくでしょうか。




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この記事へのコメント

1. Posted by MDR   March 11, 2009 20:10
私も子供のころは勉強が大っ嫌いでしたが、いまはなぜだか、いろんなことを知るのが楽しいです。

あー、この探究心が、子供のころに備わっていたら、ノーベル賞くらい・・・ぼしゅっ

蛙の子は蛙なんで、なんにも今と変わっていないかも知れませんね。

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