January 04, 2009

みんなならどうする

イグアナ
12月30日の晩。
火曜の夜はレストラン
バー・イグアナの二階に
サルサラバーが集まって
くる。
DJは意外や意外、マンボ
好みのNYにあってロマン
ティカ攻勢で私をのけぞ
らせた。
31日はドミトリーをチェックアウトするのと友人をJFKにお迎えに
あがるのと同時にやらなくてはいけなかった。
それも朝の6時起きで。

だから30日は本当は荷造りして早く眠りたかったのだけどサルサ
だけは休みたくない。
怒涛のニューヨークスタイル攻めの中にあって、顔見知りがいると
いってもほとんどが他人の中で、自分の力を初対面の人に認め
させる。つまり、「あ、あのコと踊ってみたいな」と思わせるのが
私の仕事。これは、正直いってけっこう消耗する。夜遅く・・・と
いっても0時前後にはなんとか戻ってきたのですが・・・・ドミトリーに
戻るとき、偶然玄関で一緒になった同室の女の子から衝撃の告白
をうけた。

さっき、セントラルパークで、女の子として最悪の事態にあってきた、と。

ずーん、と底に沈むような気がした。
なんで、どうして、どうしてそんなにスキだらけなの、相手のモンを
かみきってやるくらいの根性はねーのか!!!!!
と叫びたかった。
できなかっただろう。そりゃそうだろう。

「誰にも言いたくない、親に知られたくない」と彼女はしくしく泣くのだった。

おいらだってしくしく泣く。それも毎晩のように泣く。
でも私の根っこには絶対負けない、やられっぱなしではすまさないという
おき火のようなものがあるが彼女にはそれがない。
というか日本人のほとんどにそれがない。
だからカモだといわれ、やられるのだ。

それが30日の深夜。警察、病院、言葉の問題、手続きの問題、そして
「絶対証拠はとらなきゃいけないのだ」ということを散々説得することに
なった。

その後の彼女のことは私は知らない。その傷は一生残るだろうが
私は知らない。心配で物事が解決するならいくらでも心配してあげるが
やられたらやりかえすのか泣き寝入りするのかは彼女が決めることだ。


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