January 04, 2009

階段を上る

浸水した階段

今とうとう実家から「生きてる
の?」と電話がきました。
ええ、私も気にしてました。
みんなそろそろそう思い始めて
いるだろうな、と。

これは忘れもしない、浸水を
はじめた階段。

日本では今頃お正月の最後のひとときを、名残惜しさと
ちょっぴりの体重増加の憂鬱とが支配してることだろうね。
ご無沙汰しました。無事生きてます。

昨年31日の早朝、私は二週間すごしたドミトリーを「脱出」しました。
スタッフから多くの情報をきいたりその苦労っぷりをきくにつけ、得た
情報やパワーははかりしれません。
と同時に日本からゾクゾクとやってくるほにゃらら学生の「ねー明日
どこいくーどーするー何買うー」が連日朝から始まって彼らが出張って
いく昼まで続く。名をなしたタレントさんの気の毒な死も彼らのほにゃら
ら会話から知ることとなりました。
二つあるうちの一つのバスルームとトイレが故障しながら修理が全然
やってこなくて、一ヵ所(バス・トイレ同室)を男女兼用十数名でまわすと
いう有様。
誰のせいでもないところがまたえらくストレスで、午前中は布団を頭から
すっぽりかぶってひたすらストレッチをしていました。

スタッフが12時に出勤するのと同時に学生たちは出ていきます。
そのときに台所にたって朝昼兼用の昼食を作り、夕方からレッスンに
出かける日々でした。

あの大勢での生活から抜けてみて、なんともいえない脱力感に襲われ
ています。彼らが悪いんでも私が悪いんでもなく、ただもう、あの日本人
のお気楽さ+彼らの若さによる相乗効果によってもたらされる
「それが?」の気分は一生もうかんべんかな。
あああ、私もすっかり年とってしまって。

と同時に学生時代をはるかにすぎた今、このような思いの中で二週間
をすごしながらサルサだけは続けたことでまた階段を一つ上れたよう
にも感じるのですね。

その後移った先でインターネットの無線接続ができる場所が限られて
いたために、こんなに長い間ご報告ができない状態が続いた、という
わけです。


NYにはクリスマス以降観光客がどっとおしよせています。
25日まで家族ですごしてお祈りだのなんとかの丸焼きだのをやって、
「義理」がすんだらさあNY、という流れになっているみたいね。
街は観光客と「二つ買ったら一つただ」の大バーゲンで溢れかえって
います。
一応昨日二日から飲食・金融業は通常営業に戻りました。
といっても3日がまた土曜ですから、NYがいつもの顔を取り戻す
のはやはり日本と同じく5日からということになるでしょう。

タイムズスクエアに出張る人これは恒例のタイムズスクエア
年末カウントダウン「出待ち」の
人。2009年眼鏡をかけた人々
で街はあふれかえっていましたが
NYの財政難のせいか今年の花火
は地味だった、と不満の声も。








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