October 31, 2008

賭ける

みんなにいわゆるメッセージらしいメッセージをずいぶん長い間

送れていないような気がしている。

レッスンの案内や出来事を最低限流してはきたけれども、私の内部

は大荒れに荒れていました。
ポエトリーの終焉をきっかけに私の中で張り詰めていたものがふっと

切れてしまったのだった。自分は好きなことを好きなようにやっている、

だからストレスも疲れもあるはずがないという思い込みでこういう結果に

なった。好きなことをやってもやりすぎれば病気になることさえ知らな

かったほどの、私はオオバカものであった。

私が心理的にも体調的にももっとも落ち込みの激しい時期にたまたま

易学の先生にお会いした。あとからその方がお話したところによると

「あれほどいたいたしい人は見たことがない」ほどの状態だったそう

である。先生は私がおかれている状況をほぼひとめで見抜いたので

しょう、これは荒治療が必要といって、私にこれでもかというくらい

こてんぱんに厳しい言葉を浴びせたのである。生まれてこのかた、

こんなにひどいことを言われたのははじめてというほどの厳しさだった。

「あなたは表はにこにこして何でもはいはいとよく聞いているふりを

しているが、中ではまったく人の言うことをうけいれていない」と

彼女は断言したものである。それは私のもって生まれた気質もある

だろうが、私の幼いころの環境がそうせざるをえないようにさせたの

でもある。人を、信じる。これは私にとって大変な危険を伴う作業

なのだ。信じることは私に肉体的な痛みをもたらすのである。

これを克服するために私は現在、心理療法士によるカウンセリングを

受けている。

そういう私がここで「今、自分はビョーキです」と告白することがどれほど

恐ろしいことか、みんなには想像がつくだろうか。しかもこのブログは

不特定多数の方が読んでいるのだからなおさらである。

私にとって人生の転機であった。

結果的にどうだろう、みなは私のレッスンを受け続けてくれている。

「ドタキャンするかもしれないよ、途中でやめちゃうかもしれないよ」と

いってもきてくれている。私もなんだかんだいって一度もレッスンを

休むことも中断することもなくここまでやってきた。

おそらく人生ではじめて、私は人を信じてみるという賭けに出てみた。

その結果がどうでるかは私が死んでみるその日までわからないことで

ある。

私はみんなが簡単にレッスンをお休みすることを知っている。

サルサのレッスンというものが人生における処々の大切な事柄の中で

もっとも最後尾におかれているものであるということを知っている。

そんななかで自分はサルサに賭けなければいけない。

このギャップ、この孤独は到底言葉につくせないものである。

しかし同時に、私はみんながサルサによって、あるいは私の教室に

よって思わぬ幸福な瞬間を得ることも知っている。

私は相変わらず必死であり、日々生きることが辛くてならないとも思う。

しかし、信じてみることができたということは私にとって大きな前進で

あった。


音楽にぴたりと動きをはめる幸福が全てのつらさを埋め合わせて

お釣りまでくれる、と感じられるそのわずかな瞬間に、今わたしは

賭ける。


salsaconsul at 17:31│Comments(0)TrackBack(0)

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