November 03, 2007

七つの星

今日最後の電話をおえたとこです。

様々な星が行き交う日って不思議にあるんですね。 


今日は一日で全部で七人と、時間の長短はあってもかなり

深い話をしたり教えられたりしました。

休日には一日で一人とも話さない日も普通にある自分にとっては

相当珍しいことでちょっと驚いています。

電話したりされたり約束してあったりなかったりメールしたり

されたり、というような感じ。

金曜日ってそういう日だっけ。そうじゃない金曜日もあるよね。

 

私はあたりまえのことが普通にできなくてこける、という癖が昔から

あって、それによってずいぶん人に迷惑をかけてしまい、そのたび

申し訳ない、ごめんなさい、ホントにすみません、と謝って、そして

また全然別のとこでまた転ぶということを繰り返してきました。

がんばればがんばるほどだめです。

アメリカに行ったときも毎日ネタには困らなかった。

新しい事態に対処するということが本格的に苦手なんです。

 

そんな中生徒さんがいろいろな場面で私に言いにくいことを

言ってくれるというシーンがこれまでに何回かありまして、

それに関して本当にものすごく感謝してますね。

まだまだまだまだ〜ということを日々痛感するわけですけど、

その一方で皆さんが「そうはいってもセンセはセンセ」みたい

な形で何かと気をつかってくれたりたてたりしてくれたりしてるのは

わかってます。

自分のキャパが小さいせいで、みんながホントは言いたいことが

あるのにそれをきいてあげる余裕がないこともよくあります。

サルサはもちろんのこと、実際に日常生活とか仕事のなかで

一人ひとり数え切れない困難とか事情を抱えていて、それをホントは

私に少しでもきいてもらいたいんだろうな、とかわかってもらいたいん

だろうな、というシーンもよくあります。いま一瞬お茶にでも出られたら

な、というような感じというか。飯田橋なんかではそういう瞬間が

本当によくありますね。そのときは仕事に縛られているのでどうにも

こうにもできないんですが、できるだけ目で「うん、わかってるよ」と

いうのは伝えるように努力してます。

 

自分が幸せだと実感できる仕事をしよう、ということで今こういう

ことをやってるわけですが、今日になって、サルサは

「愛したい・愛されたい」という感情と密接につながってるのかな、

と感じるようになりました。

今って家族もばらばらだし仕事ではとことん絞られるし、

魂のよりどころの見出しにくい時代じゃないですか。

ここにいれば安心できる、という場所をもつことが実はすごく

難しいんじゃないのかな。もし心からそう思える場所がある、と

いえる人は本当にいい人生を歩んでいるんだと思います。

努力されたんでしょうし、人にたくさんのものを与えた方なんで

しょう。

 

サルサをやっていると、相手を信じないと組めないわけで。

この人はよき人に違いないという前提がないとダメなんですよね。

それを必死で信じようとする。一晩で十数回相手を信じようとする。

それが普段なかなか満たされない「愛したい・愛されたい」の代替に

なってるような気がしてならなくなったのです。説明になってるのかな

これは。

 

たとえば少数で運命共同体を築いてるようなグループに、それを

満たす人間関係があったんだろうか、ということを漠然と想ったり

します。実際のとこはどうだったかそれはもう外からは絶対に

わからないですけれども。

 

それで今自分がしたいサルサというのは、自己実現を助ける一つの

道具としてサルサを使う、というようなサルサなのかもしれないです。

その、愛したり愛されたりっていうのは生きていくうえで絶対に

欠かせない感情ですね。それに加えて私たちにどうしても必要な

ものとして自己実現という感情があると思います。人生の最期に、

自分は思う存分生きた、夢を成し遂げた、と心から思えるということ。

それってホントに難しいわけです。いろいろなマイナス感情や事情が

夢を妨げる。経済的にとか運命的にとか、数え切れない事情が

からみあって私たちは思い通りには生きられない。ただ、ある瞬間に

ブレイクスルーできるチャンスというのはあるかもしれなくて、サルサ

はその「いまだ」という瞬間をときにすごくクリアにみせてくれることが

あるように思えます。

私は本が大好きだったんですが、それに対するよい関わり方を

気付かせてくれたのはサルサでした。

「本」という一つの物体のなかに、書く人、選ぶ人、なおす人、励ます

人、刷る人、デザインする人、読む人、買う人、整理する人、売る人

などなどものすごく多様な仕事が関わってきている、それを自分は

「本」というたった一つの言葉でしかとらえられてなかったんだと

気付かせてくれたのはなぜかサルサだったんです。

サルサって恐ろしくたくさんの人と出会うことになるわけで、その

おかげで「物事は複雑にくみあわさっている」ということに深い意味で

気付けたみたいなんですね。

それによって自分は転職を決心することができました。

そのときは迷いましたが、自己実現ということをはじめて意識した

瞬間でもあったように思います。

 

幸運にもサルサにまがりなりにも関われるようになったのだから、

その中でとにかく学ぼう、だから生徒さんからできるだけ本音を

きこうというふうに今日あらためて思いました。

生徒さんにとって先生というのはどこか近寄りがたく気難しいものに

うつるのかもしれないんですけど、そんななか私の手落ちや短所を

指摘してくださる生徒さんの存在に心から感謝します。

これからもどうぞ、よろしくお願いいたしますね。




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