April 12, 2007

開拓されるお話

「適職テスト」のようなものは就職するときにだれでも

一度はやってみたことがあるのではないかと思う。

大人になっても、身近に「あなたにむいた職業はこれ」

なんてテストがあったらついついやってみたくなるのが

人情というもの。

 


新人さんがくると「何をしている人でしょう」あてクイズを

やるのは、その人のもつ雰囲気がどんな背景とつながって

いるのを想像するのがとっても楽しいからです。

ただサルサにはみな多かれ少なかれストレス発散に来て

くれていると思うので、あんまり仕事のことを思い出させる

のも悪いから、ちょっときいたらすぐ引っ込むわけね。

自分がこの状況に至るまでにあまりにも回り道をしてきた

ためか、みんなが比較的自分の思い通りの職について

いるようであることを知るとなんだかほっとします。

「忙しすぎるのが玉にキズだが

  仕事そのものは気に入っている」

という方が多いようだね。

あとはいかに自分の思いのままふるまえる環境を

整えるか、ということだろうか。

少々ずっこけることはあってもいざというときは頼れる、

私の場合塾で目指してきたのはそういうスタンスでした。

ツボだけ押さえときゃいい、とわりきるまではなんでも

パーフェクトにしようとしてほとんど病気でしたね。

遅刻もしない、忘れ物もしない、同僚にもお客さんにも

みんなに愛され前途洋洋、なんてのは単なるうつ病予備軍に

すぎません。

「そんなの知らんもんね〜〜〜」とぺろっと舌を出す、その顔が

かわいい、と言わせるほうが上級かなと思うわけです。

男も女も。

 

自分はホントによのなかのことを知らない・・・としみじみ

思っていたところ、箱根合宿の際つなぎに降りた小田原で

「よのなかのルール」という本を見つけたのでぽんと買って、

暇があれば読んでいる。

そのなかに思いがけず「適職発見ゲーム」があった。

60の質問に○△×でこたえていって、最終的にAからJまで

10のタイプに分類してみる、というもの。

ポイントの高いタイプのものほどむいてますよ、ということだ。

その10のタイプとは

 

A 流行を追いかけ、つくる仕事

B 世界を舞台に活躍する仕事

C 人に教えたり、サービスをする仕事

D ものごとの真理を追究する仕事

E カラダとアタマで勝負する仕事

F 真実を報道する仕事

G 人前で自分をアピールする仕事

H 困っている人や弱者を助ける仕事

I 想像したことを表現する仕事

J 計算力や分析力がものをいう仕事

 

これを最初にみてしまうと先入観がでてくるので、

何もみないでさらさらと質問にこたえていった。

私はこれまで、このようなテストをするとたいてい

「人にものを教える仕事」がもっともむいていると出てきたし、

自分でもそれが天職だと思っていた。

だが、12点満点中たったひとつ最高の10点をつけた

タイプはIの「想像したことを表現する仕事」、

次の9点はFの「真実を報道する仕事」だった。

Cの「人に教えたり、サービスをする仕事」は

Bの「世界を舞台に活躍する仕事」

Eの「カラダとアタマで勝負する仕事」と並んで8点に

すぎなかった。

これは私にとってちょっとした気づきの元になった。

 

人は全然むいていない仕事は一日だってできない。

でも、ばっちりむいた仕事についていて自分も周囲も大納得、

一生このままで、という人は意外に少ないものだ。

人というのは、2番目か3番目にむいている仕事で、周囲に

それをサポートする人がいるような、そういう仕事につくことが

多いのかもしれない、ということにこのテストで気づいた

わけです。

そして、1番目をかなえるためには相当多くのことを

ねじふせないといけないので、たとえば家族だとか立場だとか

そういうものを守るためにあえて心の中にしまっておく・・・

そういう方がほとんどなのかもしれないな、と。

でも今は一生は一度しかない、ということを皆が真剣に

考えるようになりました。

だからなんとかして一番目をかなえて気持ちよく天国に

のぼっていきたいものだと誰もが思っている。

本屋さんのなかでそのための「励まし本」がしめる

スペースの広いこと広いこと。

 

そしてこのテストで気づいたこと、もう一つ。

能力というのは最初からあるというよりは、どの部分をたくさん

使っているかによって変わってしまうものなのだということ。

私のテストの結果がこのブログやサルサと密接なつながりが

あることは明らかだ。

妄想を毎日毎日性懲りもなく書き続けたり、電車に揺られながら

コンビネーションのつなぎばかり考えていれば、ない才能も

花開くというものである。

ということは、だ。

もしやりたいことがあったら、一日も早く、一分でもいっぱい

それに手をつけるだけでいい。

脳の「そこ」に血を流しこめばいい感じで働くようになって

くれるのに違いない。

こういうのも結局のところ「練習」の一種なんだろうね。

 

 

 

 




salsaconsul at 15:20│Comments(2)■SALSA FRESCA泣き笑い 

この記事へのコメント

2. Posted by salsaconsulRIO   April 13, 2007 09:24
自分が気持ちいいかどうか、満たされてると思えるかどうか、でしょうね。

若い子は突っ走り、大人はじわじわと。

夢のかなえ方は一つじゃないから、いろんなルートで「攻めて」みたらいいかなあ・・・
1. Posted by のたろー   April 12, 2007 21:39
tiene razon!
”適職”なんて、合ってないようなものか…
環境が人をつくり、そんでもって人は自分のおさまる場所に居ると思うと、なんだかそれがしっくりくるものです。

突っ走りすぎるのもまた問題?
自分はコレだっ!って進めるほど強くないような。
なので現状におさまってる自分^^;

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