October 11, 2006
おっきな声でうたっちまえなお話 その2
Cちゃんは、生まれも育ちも食べるものもぜんぜん違う
ダンナとやっていく苦労をこう言います。
「もう、ストレスで、入院か離婚か死ぬかと思って
いたよ…
一度も行った事や習った事のない英語生活や、
マタニティーブルーや、その後の生理再開やら…
長期入院よりキツい!」
それに「ぐわはははははは」、と大声で笑うRIOのことを
「でも笑ってくれてうれしい」と。
そう、Cちゃんは、私がどういう意味で笑っているかという
ことがちゃんとわかる人なのです。
私はもうずっと前に、たとえどれほどの男であっても
自分のペースと、サルサに賭ける気持ちには代えられないと
どこかで決心してしまった人間です。
Cちゃんのように、気が狂いそうになりながらも
「男という子供 〔 しかも"大"問題児!! (Cちゃん談)〕」
と徹底的に向き合う人生は、私には向いてないのです。
しかし、それを日々やっている女、つまり「母なる女」の
偉大さを海より深く痛感してる自分は、心おきなく
Cちゃんの人生を笑うことができるのでした。
「気が済まないんだよね、何故とかどうしてとか
気になったら流さない。
徹底的に聞いて喋り倒す。」
・・・そうだね、ホントにそうだ。
二人を見てると、とにかくいちいち確認をとる。
話をつける。
話になってないものは存在しないもの。
そういう感じを強く受ける。
「激しい喧嘩や、小さな事や、こちらの気分や体調や
都合にお構いなし!」
これをやられたら、今の私は一週間と持つかどうか
わかりません。
関東圏に暮らしてもう10数年。
すっかり日本人的以心伝心がしみついて、それがむしろ心地よく
なっているもんなあ・・・。
「あたしも欧米よりなダイナミックな部分を持ちながら、
やはり日本人…だから本当恋しい!!(泣)」
Cちゃんは、愛とともに、けして気の休まらない毎日とも
結婚したのだということに、改めて思いを深くしたのでした。
愛って、「自分のため」を軽々超えたときにはじめて成立する
もんなんだね。
・・・もうちょっとだけ続く
この記事へのコメント
なるほど、同感
さて、ご挨拶です。お疲れだった『某女医』、
復活いたしました。今後ともよろしくです。